8月は新聞・テレビで戦争関連の特集が多い。28日放送のNHK「クローズアップ現代」では、旧満州などで性暴力に遭い引き揚げた女性たちに施された、中絶手術が取り上げられた。人道目的という美辞麗句の裏で、有無を言わせず実施された、混血児の出生を防ぐ水際対策は、想像しただけでも身の毛がよだつ思いだった。
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ドラマ『恋人~あの日聞いた花の咲く音』に描かれた時代、暴行を受けたことを恥じて自害した女性たちがいたという。戦後間もなくと何一つ変わらない。同じ女性から”汚らわしい”と蔑まれたという証言には怒りが沸き上がった。戦後も口をつぐんで生きてきた人々を思うと、暗澹たる思いに駆られる。
『恋人』の中で、連れ去られた妻を探し回る男に、周囲の者たちがかける言葉が印象的だ。「キズものになった妻を連れ戻してどうする」。
この言葉に、男は愛していた妻を探し出すことを諦め、帰っていく。探し出して連れ戻しても、本人も自分も白い目を向けられてしまうことに、気づいた男の葛藤もまた、悲しい現実なのだ。だが、このドラマの主人公はきっぱりとこう宣言する。「辱められたのは自分のせいではない」と。
17世紀を舞台にしながら、主人公にこう言わせたところに、このドラマのメッセージ性がある。あの時、見て見ぬふりをした罪を今償いたい、そう言っているように思えてならない。
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小説『何も言う必要がない』は著者であるファン・ジョンウンの実体験を色濃く反映させた小説だが、2016年のキャンドル集会について書かれた部分を読むと、これまでこの集会に対して持っていた幻想が、打ち破られてしまったといってもいいかもしれない。強い思いを、怒りを、非難を、弾劾を、暴力に訴えることなく、集まってキャンドルを灯すことで示したこの集会を世界が賛美した。
ベビーカーを押しながら参加した人もいるというほど、平和的で秩序の保たれた集会、と日本でも報道された。しかし主人公は、トイレに行く途中で”悪女OUT”と書かれたプラカードを目にする。「女」だけが朱書きされたプラカード。なぜ「女」だけが朱書きされているのか? 主人公は、弾劾されるべき「その人」が女であると知っている。その糾弾は、その人が女だからなされるというのでもないはずなのに。
主人公は、平和的な集会の側面を強調する雰囲気に、居心地の悪さを感じるようになる。「冷たく固い地面に何時間も座っているのには、もう耐えられそうもなかった」「トイレに行くのも一仕事で、(中略)人々とのすさまじい密着を味わわなくてはならなかった」。そこに集まった大勢の女性たちのことを、プラカードを掲げた人は見ていないのだろうか? 主人公は、そのプラカードの前を何もせずに通り過ぎる。私たちが無条件に一つであるという、巨大にして辛い錯覚が、主人公の頭から離れそうにない。
平和的デモを願う人々は、誰も傷ついてはいけないと言いたかったのではなかったか? 救われたと思うと、すぐにまた打ちのめされる我々の心だが、挫折と希望を繰り返しながら、より良い世の中を次の世代へとつないでいかなくてはならない。
2作品の最後は、果たして明るい未来を示唆しているだろうか? |