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最終更新日: 2024-10-22 13:26:34
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2024年07月31日 06:30
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第49回 伴野麓

 利残国の王族はどこに消えたのだろうか。それは倭地への集団避難ということになる。時期的には応神朝の頃と見られ、その沸流百済は、自らの存在を黒子にして百済系大和王朝を突如樹立し、それまでの倭地の領知者であった新羅系山陰王朝を簒奪して、倭地を領知する実権を掌握したと考えられる。そのため、弟の温祚百済が百済として認識され、沸流百済は史上から消えてしまったのだ。
7世紀に藤原不比等らによって創作されたというアマテラス(天照大神)が、日本国の始祖のような扱いを受けているのだが、それは百済の色に染められている。日本列島を開拓したのは新羅系、実際は伽耶系渡来人であって、そうした歴史の中に、随所に百済の色がはめ込まれている。それは、沸流百済による歴史偽造作戦とみていいと思われる。
『新撰姓氏録〈逸文〉』には、「神武東征のとき鴨建耳津見が八咫烏に化して道案内をしたので、その功によって葛野県を賜わり、成務のとき鴨県主になった」とあり、『山城国風土記〈逸文〉』にも、賀茂建角身が神武(神倭石余比古)の「御前に立った」とあるのは、『記・紀』に載る八咫烏伝承を指したものだという。
そのような伝承は、鴨県主が山城において大和王朝の尖兵的役割を果たしたために生まれたものであろうし、その賀茂氏と組んだのが秦氏なのであるという。神武が架空であるなら、神武を消去すると、鴨建耳津見(八咫烏)が残り、鴨建耳津見が鴨(賀茂)氏の始祖であった。
その鴨氏の後裔が京都葛野の地を領知し、そこへ秦氏の祖の弓月王が400年前後に渡来。一族の一派が葛野にも移住して賀茂氏と組むということになる。組むというより、賀茂氏を取り込んだという方が正解かもしれない。

 〔仲哀紀〕

仲哀は敦賀アマノヒボコ王朝の替玉


従来の定説を根底から覆し、真実に迫る新解釈の古代史であることを試みているのだが、架空とされる仲哀の実像が、敦賀(角鹿)を王都にする新羅系山陰王朝の一員であるアマノヒボコ王朝を象徴化したものが仲哀と名付けられた替玉であることを突き止めた。

真実とかけ離れている定説を再検証すべし

江戸時代の町人学者である山片蟠桃(1748~1819)は、「日本の神話は作られたものであり、神武天皇から仲哀天皇までの記録も、歴史的事実としては信じられないことが多い」と説き、それは後の津田左右吉の学説にほぼそのままつながるものだという。

2408-01-06 6面
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