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最終更新日: 2024-11-19 12:39:03
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2024年07月23日 12:58
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新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第48回 伴野麓

 大和の地を領知していた新羅系山陰王朝の実態の上に、たとえば成務とかの全く架空の天皇(大王)を挿入して、その天皇に繋がるように、大和に実在していたと考えられる新羅系山陰王朝の事績を改変して、百済の色に染め付けたということになる。
その改変は、出雲を宗主とする新羅系山陰王朝の構成国に怪しまれないように、かつ百済に繋がるように巧妙に編まれたと考えられる。その改変の全貌を明らかにするのは困難であろうと思慮されるが、辻褄の合わない記述は、そうした改変を疑わざるを得ず、そうした矛盾のいくつかはあげることはできると思う。

大和王朝の主役は神武ではなく八咫烏こと鴨建耳津見

アマテラス(天照大神)は、ニニギ(瓊瓊杵)の降臨に際し、「倭地はお前が治めるべき地だ」といって、三種の神器を授けたことは〈神代紀〉に記されている。それは、当時の倭地は、沸流百済の王族が治めるべき土地だと主張したことを内外に闡明したことを意味すると思われる。
ところが、沸流百済は史書に全く現れない国名だ。それは、自らの存在を黒子にして、倭地を統治したがためだと思われる。それは、自らの歴史を消去してしまうことであり、時代を経るにしたがって完全に埋没してしまった。
チュモン(朱蒙)が建国した高句麗から、沸流と温祚の兄弟は母親の召西奴(ソソノ)と一緒に南下し、漢江流域に到達し、弟の温祚はソウル付近に定着し、農業立国を目指した。兄の沸流は、仁川付近の海浜に本拠を構え、海上立国を目指したということだ。
その後、ともに高句麗広開土王に撃破されてしまうのだが、広開土王碑に利残国と刻されているのが沸流百済で、百残国と刻されているのが温祚百済のことだ。百残国の王族は多くが高句麗に連行されたのだが、利残国は王族一人のみであったと刻されている。

2407-24-06 6面
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