戦後日本が独立し主権が認められた、サンフランシスコ平和条約について改めて確認することは重要です。
1945年8月15日、天皇の玉音放送により、ポツダム宣言の受諾が宣言されました。天皇の終戦の詔書の中に「他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固より、朕が志にあらず」とし、「為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕、最もこれを戒む」とあるのは注目すべき表現です。同年9月2日、日本は降伏文書に署名し、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束したのです。
そのポツダム宣言の第8項に「カイロ宣言の条項は履行せられるべく」とあります。「カイロ宣言」では三大国(米・中・英)が、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のもとにする決意を有する」としました。つまり、日本は朝鮮を植民地支配し、奴隷状態を強いた事実を前提に朝鮮を解放し、自由独立な朝鮮にする義務を負ったのです。
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そして、1952年の平和条約締結で日本の戦争状態が正式に終了し、占領状態にあった日本が独立を回復し、主権を取り戻したのです。平和条約第2条で、日本は朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対する日本の権利・権限を全て放棄しました。
しかし、放棄するだけでは無責任です。それまで生じた権利義務について、後始末をしなければなりません。そこで平和条約第4条(a)項で、朝鮮の住民の日本に対する請求権について、日本国は朝鮮の当局との間で清算のための「特別取極」をするように義務付けられたのです。例えば、朝鮮住民が有する郵便貯金や国債などの日本国の債務は早期に返済しなければなりません。この点、日本は韓国との間では、日韓請求権協定で解決したことになっています。
日韓請求権協定第2条には、上記「平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて」解決されたことになるとの規定がありますが、どのように解決するのかが言及されていません。平和条約第4条では、清算のため「特別取極」が要求されているのですが、その取極めが見当たらないのです。
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ところで、日本は北朝鮮との間では、上記の「特別取極」は全く出来ていません。「特別取極」は国交正常化の前段階に当たり、北朝鮮の住民の請求権の為の北朝鮮当局との取極めなのです。戦後80年が経過しようとしています。それなのに日本がこの負債を履行するために北朝鮮当局に対して、未だに申し入れをしたことさえないのです。
日本は北朝鮮に対して、拉致被害者や核・ミサイルについて申し入れをしていますが、それ以前の平和条約で定められた国際公約上の義務の履行を放置しては、国際国家とはいえません。他国に対し、国際法を守れという資格などないと言われても仕方がないのです。
順番としては、上記の「特別取極」が終わって、次に国交正常化交渉が始まるのです。その国交正常化に臨む基本姿勢に当たるものが、2002年9月17日の「日朝平壌宣言」です。
ここで日本側は「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」としました。これを批判する人もいますが、上記のカイロ・ポツダム宣言と平和条約の流れからみると当然のことです。
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この「多大の損害と苦痛を与えた」ことに対する償いについて、平壌宣言では、「1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い」協議するとありますが、日韓請求権協定のような経済協力でまとまるかどうかは疑問です。 |