戦後補償問題には、サハリン残留韓国人問題や在韓被爆者問題、元日本兵・日本軍属および慰安婦問題を始め、民間企業への徴用工問題、さらに韓国以外の台湾・フィリピンなどの慰安婦問題や香港軍票、強制連行・労働被害問題などがあります。
これらの問題に取り組み、提起された裁判はこれまで約100件に達しています。また、私が実行委員長となった「戦後補償国際フォーラム」は1991年から96年まで続きました。これにより被害者の訴えは様々に届いたといえるでしょう。裁判を提起することにより、戦争被害の事実の掘り起こしも進みました。
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日本政府を動かすことは、大変な困難を伴います。サハリン在留韓国人問題について、私たちはまず、つてを頼って関心のありそうな国会議員に問題を持ち込んだのです。最初は田渕哲也議員が貴重な働きをしてくれました。
田渕議員の質問に稲葉修・法務大臣が「ご指摘の在樺太朝鮮人の引き揚げ問題について強制連行された人たちについては、日本国に原状回復させることは、道義上の責任として残っている」と答弁したのは注目されました(76年1月22日参議院決算委員会)。
次に、私は同じ第二東京弁護士会の先輩である栂野泰二議員のところへ行きました。この栂野議員の質問により、既述のように園田直・外務大臣による名答弁を引き出したのです(第1回連載参照)。
園田大臣は「先ほど事務当局から人道的見地からと言いましたが、人道的、さらに法律的以上の道義的責任、政治責任がある」と述べたのです(78年3月2日衆議院内閣委員会)。
役人はいつも「人道的見地から」と言いますが、これは義務がない場合です。園田大臣はこれを否定し、「人道的、さらに法律的以上の道義的責任」があることを認めたのです。「国家は道義なり」という法格言からいうと、国家にとって最も重要なのは「国家道義」です。法律とは国の「道義」に基づいて立法されるものです。その意味で「法律的以上の道義的責任」との表現は全く正しいのです。
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サハリン残留韓国人問題は園田大臣の答弁により、人道上の問題ではなく、日本国にとって道義上の責任のある問題であることが明らかになったのです。その意味で在韓被爆者問題では、日韓請求権協定によって解決済みの問題とされますので、人道上の立場からの支援となるのに対し、サハリン残留韓国人に対する施策は、国家にとって「責任」のある施策となり、位置づけが異なるのです。
しかし、大臣がこのように国会で断言しても外務省などの役所は相変わらず人道上の施策だと表現し、大臣の指示に従わないときもあります。
そこで園田大臣はさらに踏み込んで、厚生大臣・法務大臣・外務大臣の3大臣でサハリンの韓国人が日本に戻れば「日本の準国籍を持った人として扱う」ことを決めたのですが、役人は動かず、その後3年しても何の進展もないということがあったのです(81年4月9日、衆議院社会労働委員会)。油断すると、役人はサボります。
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82年から86年の頃は、主に公明党の草川昭・参議院議員が熱心に国会質問をしてくれました。そして、87年7月17日の議員懇談会の発足になるのです。大沼保昭・東大教授が主に自民党議員をまわり、私が社会党などの野党をまわりました。その成果として、発足日には98人(代理出席48人)もの議員(会員は155人)が集まったのは画期的なことでした。
選挙権のないサハリン残留韓国人のために働こうという国会議員がこんなにも多いのかと驚くほどでした。しかも、政権与党の自民党と最大野党の社会党の議員が多く、外務省の姿勢も変わらざるを得なかったのです。 |