在日同胞の寄付と韓国政府の支援によって1963年に設立された韓国教育財団は、在日同胞学生の教育支援のため奨学金を支給してきた。2003年からは、グローバルな活躍を目指す若者の夢を応援したいという想いから、新たに「碧夆奨学基金」を設立。同奨学金を受け現在、各方面で奮闘する元奨学生たちの活躍を今後、月1回ずつ紹介していく。
韓国教育財団碧夆奨学生として南カリフォルニア大学で学びMBA(経営学修士)を取得後、外資系IT企業の日本法人勤務を経て、韓国法人の新規事業立ち上げのため、今月渡韓する。
多様な出自を持つ同僚とともに、「MBAで身に着けた英語力とマルチカルチャーでの経験、数字に裏付けられた分析能力」のスキルを活かし、セールスマーケティングに従事している。
これからのキャリアを「韓国で生まれ日本で育った人材として、多様な文化を受け入れ、グローバルな仕事をマネジメントしたい」と思い描く。
小学校6年のとき、父の勤務の都合で来日。大学卒業後はITシステムセールスに従事するが、国際的な仕事をしたいと米国でMBA取得を志す。
しかし「英語に自信がなかった」ことと、「進学費用を稼ぐ」ために、ベトナム・ホーチミン市の日系デジタルマーケティング会社に転職。日中は仕事で英語を使い、業務終了後は留学に向けた勉強に励んだ。1年後の2020年2月、南カリフォルニア大学MBAに合格。同年8月に渡米する。資金は必死に働いて貯めた預金と借金でまかなった。留学費用は授業料のほか、生活費も合わせると2年で2500万円ほどが必要となる。
ロサンゼルスにアパートを借りて妻と一緒に住んだ。日本と比べ物価が高い現地で「借りたローンは年利7%で膨れ上がっていく。外食などを控え、生活費を切り詰めた」と切羽詰まった苦学生としての生活を振り返る。
そんなとき、韓国教育財団碧〓奨学生としての採用通知が届く。同奨学生だった1学年上の在日韓国人の先輩から教えられ、申し込んでいた。
「両親も妻も喜んでくれた。これで資金の心配をせずに勉学に集中できる」と安堵した。
MBA課程では企業経営について実践的に学ぶ。米国企業の成功事例について、自分であればどう経営判断するかグループで討論した。また、指導教授が「●年●月●日、在庫過剰になり債務超過に陥った」といった架空の会社のエピソードを提示し、どう対応するかという演習も行った。職歴を通して身に付けたセールスマーケティングの知識を基礎に、他とは違うオリジナルの考えを披露した。
様々なバックグラウンドを持つ同窓生は、世界各地から集結していた。職業も医師、弁護士、会計士など多士済々の面々がそろった。韓国屈指の大企業の社員もいた。英語に苦労したが、「学校も同級生もサポートしてくれた。会計士が会計学について教えてくれたこともある。おかげで数字に強くなり、数値分析能力が上がった。私は知見のあるマーケティングについて教えた」と留学時代を回想する。
「大変だったが、やり遂げて自信になった。36歳で留学したが、親友と言える人とも出会えた」と知識以外にも、多くのものを得ることができた。
韓国教育財団に対しては「奨学金がなければ、MBA課程を全うできなかったかもしれない。支援してもらえてありがたい。碧夆奨学基金は素晴らしい理念であり、今後も後輩たちを後押ししてもらいたい」と感謝を述べている。
「MBA取得者は米国でビジネスエリートとみなされる。在日同胞のエリートを育て、社会をリードするリーダーを輩出している」と同奨学基金の意義について語る。
現在、碧夆奨学生を目指している、もしくは同奨学生として学んでいる学生には「MBA取得を目指す道のりは厳しく、困難なことも多い。しっかり勉強して、自分の希望をかなえてほしい」とエールを送る。
「これからも国の違いにとらわれず、グローバルな仕事に取り組んでいく」MBAで得た知見で世界に挑む。
韓国教育財団・碧夆奨学基金(海外留学助成制度)
米国20位以内のMBA課程に合格もしくは在学、日本の永住権を持つ韓国籍などの応募資格を設定。採用者には年間最大1200万円を給付する。
※「碧夆」は寄付者である徐東湖理事長の号
金璨(キム・チャン) 1983年ソウル出身。95年から日本在住。明治学院大学卒。伊藤忠テクノソリューションズ、LINEなどに勤務。韓国教育財団碧夆奨学生として南カリフォルニア大学MBA取得。帰国後の2021年1月外資系セールスマーケティング会社入社。4月末に渡韓し、韓国法人の新規事業立ち上げに携わる。 |