国際都市として世界に名を轟かすソウルと東京の、空の玄関口といえば空港だ。両都市にはそれぞれ二つの国際空港が存在するが、ソウル・東京に位置し、都心と近接するのは金浦空港と羽田空港で、ともにアジアとを結ぶ便が中心に発着する(羽田からは欧米への路線も多い)。両空港を結ぶ航空路線は”ドル箱”とも称され、都心にも近いことからビジネス客も多く利用し、韓日往来の要となる路線である。
金浦空港国際線ターミナル
国際空港としての金浦空港の開港は1958年のことだ。日本統治時代の39年から軍用飛行場となり、解放後は米軍が使用していた。大田区の羽田空港は31年に民間専用の東京飛行場として開港、戦時下では軍民共用、戦後はGHQに接収され、52年から東京国際空港となった。金浦空港は金浦市ではなくソウル江西区にあり、ソウル金浦空港へと改称する計画がある。
現在の羽田空港国際線ターミナルは2010年に開業した。ターミナル内には江戸の町並みを再現した店舗街など東京の文化の発信地として演出され、展望デッキからは離発着する飛行機を望む。
羽田空港国際線ターミナル
金浦空港には11年にロッテモールが開業、ここには大型マートや映画館などがある。18年には空港の全面リニューアルが完了した。韓国の空港は軍事施設で撮影禁止のところが多いが、ターミナルとは別の韓国航空公社の建物6階に展望台があり、滑走路や機体を眺められる。
また金浦空港に国際空港の機能が移転する以前は、汝矣島に京城飛行場があり、これが韓国初の飛行場とされる(日本初は埼玉県所沢市)。1916年から軍用飛行場として、のちに軍民両用となり、金浦空港が開港したあと空軍基地として71年まで使用された。漢江の中洲にあり、洪水で使用できない事態も多かったようだ。空港が廃されたあとは汝矣島の開発が進み、国会議事堂やKBS社屋などが建設された。
現在の汝矣島公園は、当初は5・16広場として有事にも使えるよう残された場所だ。政治経済の中心地となった汝矣島だが、2012年にはIFCモール、21年にはザ・現代ソウルが開業するなど、今では市民が余暇を過ごす場にもなった。
本題からそれるが、1922年には初の朝鮮人飛行士である安昌男が母国を訪問した際に汝矣島で試験飛行を行った。そこに5万人の市民が集まり、歓喜の声をあげたという(安は30年に中国山東省での飛行事故で死去)。また33年に女性初の朝鮮人民間飛行士・朴敬元が羽田から大阪を経由して故郷への飛行訪問を行う途中、現在の静岡県熱海市で墜落し、熱海梅園内の韓国庭園の前には記念碑が建っている。このように、航空の発展は先人たちの犠牲の上に成り立っている。
そして仁川空港と成田空港を結ぶ便も韓日の主要路線だ。千葉県の成田空港は1978年に、仁川空港は仁川市の永宗島で2001年に、ともに国際空港として開業、現在成田には三つ、仁川には二つのターミナルが存在する。成田や羽田も海外への拠点となるハブ空港だが、仁川は青森・松山・那覇など日本の地方を結んだ便が多いため、韓日と世界を結ぶネットワークがより強固だ。また仁川空港には乗り継ぎのツアーや韓国文化展示コーナーなども充実している。一方で成田空港はコンパクトなLCC専用のターミナルがあり、スムーズに出発できる魅力がある。いずれも都心から最短でも1時間弱を要するが、ソウルでは10年に空港鉄道がソウル駅まで延伸、東京は同年に成田スカイアクセス線が開通し、利便性は向上している。
空港内は似たり寄ったりだが、対照的なのは免税店の店員だ。客との適度な距離感でセールスする日本の販売員に対し、韓国の空港では客と見るや、積極的に売り込んでいく姿勢だ。そんな違いも面白い。 |