中央と暫定3機関の分裂状態が続く民団について、一部で朝総連の関与がささやかれている。明確な証拠はないが、過去の民団の混乱期を振り返ってみると、その組織的で執拗な紛糾ぶりに疑惑の眼差しを向けざるを得ない。
日本が敗戦した直後の1945年10月に在日朝鮮人連盟(朝連)が結成される。しかし結成大会に共産系暴徒が乱入して対立する側に暴行を加え排除した。朝連の共産化に対し、決起した自由民主主義者らの結社が、同年11月に結成された朝鮮建国促進青年同盟(建青)と46年1月設立の新朝鮮建設同盟(建同)だった。この2団体が中心となって、自由民主主義の理念のもとに大同団結したのが、46年10月に創団された在日本朝鮮人居留民団であり、現在の民団の前身となっている。
朝連は日本共産党の指導を受け民団の破壊に奔走し、民族系指導者の暗殺まで行ったが49年、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が強制解散させた。
その後、後継団体として在日朝鮮統一民主戦線が結成され、55年に在日本朝鮮人総連合会(朝総連)の設立へと連なっている。
70年代の紛糾
70年代初めには反国家・反民団的行為で民団組織が紛糾したことにより、中央が東京を直轄化した。その後、中央が職権で事務所を接収したが、深夜に在日韓国青年同盟(韓青)、在日韓国学生同盟(韓学同)ら100人の暴徒が乱入し、団長と事務次長が重傷を負った。
韓青、韓学同はいずれも朝総連と連携しており、一連の混乱は北韓による対南工作の一環だったとも指摘されている。
親北勢力の工作
2006年5月17日には民団中央の河丙鈺団長らが朝総連中央本部を訪問し、徐萬述議長らと会談し、「民団・総連5・17共同声明」を発表した。内容は、在日同胞社会の和合を図り、民団と朝総連の和解を促進し、組織の統合を通して日本で南北統一を成し遂げようというもの。とくに、00年に当時の金大中大統領と金正日国防委員長との間に締結された「6・15南北共同宣言」の祖国統一、経済協力などの実践を目指した。
しかし内部での十分な審議や合意もなく協議過程が不透明であり、地方組織の反発と疑念を引き起こして民団を混乱に陥れた。日本人拉致問題や核実験などで北韓に対する日本の世論も極度に悪化していた。
長年にわたり対立していた勢力との和解ともいえる動きに、民団内で朝総連への危惧や、同胞への悪影響といった危機感が高まっていた。やがて次々と朝総連の関与が明らかになる。
まず河団長の経歴詐称が露呈した。河団長は北韓の政治体制を支持する人材を育成する東京の朝鮮大学で学び、朝鮮学校の教師として勤務していた。このことは明るみになるまで秘匿されていた。
5・17共同声明の合意過程においては、親北追従者や北韓工作員の疑惑がある人物らが関与しており、数回にわたって謀議していた。韓国大法院(最高裁)が反国家団体と規定した在日韓国民主統一連合(韓統連)の加担も判明した。韓統連は1970年代初頭に民団破壊活動を行って追放された反民団団体でもある。
さらに6・15共同宣言関連行事を管轄する日本地域委員会の代表は、民団から除名された郭東儀・韓統連常任顧問だった。
これらの状況証拠は、民団を朝総連に吸収させようとする謀略もしくは、韓国系同胞組織を北韓政権に差し出すための工作であることを疑わせる。
金正恩の指令
北韓の金正恩国務委員長は2022年5月、朝総連に「民団をはじめとする組織外同胞との共同行動を活発に展開すべきだ」と民団と連携することを命じた。
命令が発せられた時期は、民団が混乱していたころと重なる。
一連の民団の紛糾について民団団員の一人は「不安定化した民団に付け込み、朝総連の勢力を広げようという謀略が進行しているのではないか」と危惧している。 |