スサノオがなぜ創作されたかというと、スサノオの子のオオナムチは、銅文化の象徴とされる広矛を差し出して国譲りをしたのだが、スサノオが十握剣で、ヤマタノオロチを斬り殺したということだが、その十握剣は、天津羽羽斬剣とも称されることから銅を斬った剣ということで、鉄剣を意味し、スサノオはその鉄剣で出雲の銅文化種族を征服したということを暗喩している。
銅文化から鉄文化に発展したのが歴史の哲理であるとすれば、親のスサノオが鉄、子のオオナムチが銅というのは、まさに真逆の出来事で、ありえないことというほかなく、それゆえ、スサノオは創作された人(神)格ということになる。
『古事記』や『日本書紀』は創られた偽史
出雲を宗主とする新羅(伽耶)系山陰王朝は、因幡、但馬、丹後、若狭などの地域からなる緩やかな連合王朝で、新羅系、というよりも伽耶系というほうが正しいのかもしれないが、その王朝なのだ。それをスサノオによって表現し、百済系大和王朝はアマテラスによって象徴させ、そのアマテラス王朝(百済系大和王朝)が、スサノオ王朝(新羅系山陰王朝)よりもはるか以前から存在していたかのごとく偽装して、両者が時には対立、時には和合して、倭地の王朝を構成していったかのごとく記したと思われる。それが、『古事記』や『日本書紀』の組み立てと考えられる。
しかし、偽装の記述が完全犯罪とはならずに、時にボロを出す矛盾の多い記述となっている。換言すれば、支離滅裂、謎だらけの古代史ということになっている。諸書を精読していけば、そうした矛盾を部分的に指摘しているものがあり、そうした指摘を繋いでいけば、新発見が続々と出てきて、『古事記』や『日本書紀』が創られた偽史であることが明らかになる。
そのような偽史であるにもかかわらず、後世の為政者や曲学阿世などは、『記・紀』を金科玉条として、その偽史を正当化するために、ああでもないこうでもないと尾びれ背びれをつけて解析しているのだが、そうした考証は、謎が謎を呼び、魑魅魍魎の古代史を増幅しているに過ぎない。換言すれば、日本は歴史偽造国ともいえる。その一つの例が、幻の大和朝廷であるにも関わらず、遠い昔から実在していたかのごとくに論述していることだ。
歴史は、その地に住む人間が営むものであり、その人間は、哲学的に思考して生活していくものではない。まずを生を営む食料の確保であり、次に着るもの、次に住むところ、つまり衣食住が基本だ。その上にたって、哲学的に生きる道があり、本能のままに生きる道もあるのだ。日本の歴史学は、その基本を忘却しているとしか言いようがなく、根本が誤っていたのでは、その上に立った説は砂上の楼閣に過ぎない。 |