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2023年09月12日 12:27
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古代史万華鏡クラブ~韓日古代史の謎を解く
任那日本府はあったのか 第3回古代人の食事事情

 日本列島は世界の中緯度に位置する地域のなかで、農耕が遅れた地であったと言われる。湿地や乾燥など自然条件が厳しい地域ほど安定して穀物を得るために工夫する。人が集まり協力して灌漑などの土木をすることにより農耕が盛んになる。より多く収穫するために暦を作り、収穫物の分配のために文字が生まれ文明というものになる。一方、列島は自然が豊かで海や山の幸に恵まれたあまり、狩猟や果実、山芋などの採集活動をつづけた。
そんな状況がまったく突然変異的に一変するのが稲作の伝播だ。水溜まりに植えただけではダメで、灌漑が弥生前期から行われるようになったが、本格的灌漑による水稲耕作が始まったのは紀元前後になったころであろう。もちろん稲モミだけが運ばれてきたわけではない。大陸や韓半島から人が運んできたわけで、その人たちや先住の縄文人と混血した人たちが弥生人となる。要するに弥生文化は海を越えてきた文化で、稲作だけでなく、いろいろな文化や技術が一緒に入ってきたはずである。
この結果、米を本格的に作り始めて、ごく短期間に、にわかに文明国のようになり、人々が鯨面文身(入れ墨)していた草莽の邪馬台国の時代からわずか100年あまりの4世紀半ばには強力な統一王権が成立、巨大な古墳を造ると同時に、韓半島にまで武力進出したという。その基盤となったのは米で、大きな生産力とその余剰によったというのが日本古代史の一般的解釈であるが、それはどこまで本当だろうか。今回は古代の稲作と食生活に迫ってみる。

私の古代の稲作のイメージは、黄金色の稲穂に囲まれ、楽しそうに稲刈りする人々の姿を描いた挿絵だ。しかし弥生時代の遺跡から見つかった稲束をチェックしてみると、穂首(第一節より上部分)が18~20センチしかなく現在の28~30センチに比べると短く貧弱。そのぶんモミの数は少ない。稲刈りの時、こぼれ落ちたモミから発芽するヒコバエのようで茎も細く収穫時にはほとんど倒れていたと推測される。稲刈りも喜びと共に苦行であったろう。後の奈良時代の収税帳が残っているが、それによると、最も生産性の高い上田でも今日の平均収穫量の五分の一から四分の一程度だったようだ。4世紀頃の段階はもっと少なかったはずだ。
弥生時代の遺跡から出土した植物質の食糧で古代人が何を食べていたかがわかるが、米は2位で、最も多く見つかるのが各種のドングリ類。おそらく庶民の食事はアワ、ヒエ、キビやソバの雑穀とドングリ粉が主役の粥が主食で、米はたまにしか食べられなかったことであろう。水稲栽培が大きく伸びるのは、多くの渡来人が最新の技術や農機具を持ってやってきた5世紀頃からのことである。
しかし救いはあった。簡単には獲れなかったろうが狩猟だ。韓半島の新羅では仏教の影響で529年に殺生禁止令が出され、百済、高句麗も続き全土が肉食禁止になるのだが日本列島はずいぶん遅れる。その最初は天武四年(676年)の殺生禁断の詔(みことのり)。猪を育てる猪飼という部民もいたり、貴族の狩猟ターゲットであったため猪と鹿が都合よく除外されていたが牛、馬、犬、猿、鳥を食べることが禁止された。逆に言えばこの時代、猿までも常食にしていたことになる。特に犬は古代、最もポピュラーな食材だったらしい。遺跡からタヌキ、キツネ、カモシカ、小さなテン、ムササビやカワウソ、トキの遺骸も見つかるというから動物ならなんでも食べたのだ。日本人の身長は弥生時代が最も高く、時代と共に低くなり、ついに江戸時代末に最も低くなった。弥生時代に身長が高いのは渡来人の影響もあった。低くなっていったのは炭水化物だけで腹を満たした結果だ。
一方、韓半島の肉食禁止令は高麗時代にも引き継がれるが、13世紀に蒙古軍に一世紀間にわたり支配されたことにより仏教国でありながら戒律は骨抜きに。さらに李朝の崇需排仏政策により肉食禁止のタブーは公になくなる。
果たして4世紀の段階で米の大きな生産力と余剰が本当にあったのだろうか。労働力を提供することを強いられた7~8世紀の律令時代とは違い、巨大古墳を造ったのは先住の蝦夷か土蜘蛛や国栖か。あるいは国々との闘いで敗れた奴隷的労働者であろう。古墳はドングリ粥の食事でも造れただろうが、戦う戦士には栄養が必要。後の時代の兵士は5~6合が常識。一升食べたという話もある。あの時代の生産性では、大和からはるか遠い半島への侵攻は考えれば考えるほど無理に思えてくる。
前号でも紹介したが、古代歴史家の古田武彦氏の言葉をもう一度書いておきたい。
「近畿の巨大古墳が成立しえた歴史的背景は何か。それは朝鮮半島へ出兵しなかったからである」。

 

故郷の東美濃から運ばれた米の木簡が平城京跡から見つかっている(写真はこれにちなんだ新米)。律令制の諸税により国は豊かになったが庶民の生活は苦しくなったと言われる

2023-09-13 6面
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