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2023年07月11日 12:54
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古代史万華鏡クラブ~韓日古代史の謎を解く
任那日本府はあったのか 第2回巨大古墳について考える

 古代史ファンをワクワクさせた吉野ケ里遺跡の未盗掘古墳発掘であったが、私が予想した大量の銅鏡も韓半島製の銅剣はおろか何も
出土しなかった。
一般的には吉野ケ里遺跡は魏志倭人伝に出てくる周辺にあった21の旁国のひとつ、弥奴国であるとされる。紀元前100年くらいから紀元250年頃まで続いた大集落だが、大量の銅鏡や璧が出土せず、それが出ている伊都国や奴国よりランクが下とみなされ、旁国と判断されているわけだ。個人的には吉野ケ里が邪馬台国でいいと思っているが、その新証拠の一端も発見されず肩すかしだった。

さて本題に入ろう。前回、古代の倭は4世紀にさかんに韓半島に武力侵攻し、369年には半島南部に統治機関として任那日本府を置いたという定説は本当かと書いた。その頃、海を渡って攻め込むほどの勢力を持った統一国家があったかが疑問であるからだ。その統一国家の成立について「七五三論争」なるものがある。古墳時代に入る3世紀末こそ、その時だ。いや、前方後円墳が全国に広がった5世紀だ。いやいや、統一国家の成立は7世紀だとする論争だ。前二者は巨大古墳を次々と造るほどの国力があったからというのがその理由のひとつで、古墳がキーポイントであるといえる。
一方、韓半島でも4世紀から6世紀にかけて大型古墳が造られたが、倭ほどのスケールではない。高句麗の広開土王の墓ではないかといわれる太子陵は一辺61メートルの方墳。長さで言ったら最長は慶州の皇南大塚古墳が120メートルだが、大きな円墳が二つ連結した形の物である。一方、倭と言えば、400メートルを越える2基の超巨大古墳に、160メートル以上の大型古墳、さらに新羅国王の墓よりも大きい中型古墳を合わせると全国で109基にもなる。
巨大な古墳を造るためには半端でない人力と物資が必要だ。奈良時代の人口は推定450万人と言われるから古墳時代は全国で250万人程度だったろう。果たして韓半島に進出しながら巨大な古墳を代々にわたり造り続ける余裕があったのだろうか? 死生観の違いもあるだろうが三国がひっきりなしに争っていた韓半島では、その余裕がなかったから控えめな墳墓を造ったのではないだろうか。
古代史家・吉田武彦氏はズバリと私の疑問に答えてくれている。
『巨大古墳が成立しえた歴史的背景は何か。それは朝鮮半島へ出兵したからではない。出兵しなかったからである』
韓半島にさかんに出兵、新羅や高句麗と戦ったはずの仁徳天皇(諸説あるが313~399年。在位395年~427年説もある)の陵墓といわれる大山古墳は全長486メートル。平面の大きさでは世界最大の墓であるが、1985年にゼネコンの大林組が”今、大山古墳を造ったら”と土木工学の観点から考えた面白いデータがある。
大山古墳の高さは前方丘が27メートル、後円丘が30メートルある。盛り土の量は140万立方メートル。現在の10トンダンプカーでなんと23万台の分量であるという。どこから採土するかというと二重の濠を掘ってそれに充てるわけだが、濠の深さは今まで測ったことがないため不明。現代の建築技術上、5メートルくらいが妥当と言われる。しかしそれでは盛り土は半分ほどで、不足分はどこからか運んでこなければならず大変な工事となる。
現代なら濠はパワーショベルで掘り、土砂はベルトコンベアで上げ、三段の墳丘はブルドーザーで均すわけだが、古墳時代にはまだ牛馬は使われず人力のみ。スキやクワで掘り、運搬はモッコのみ。墳丘は足で踏んで固めることになる。さらに斜面の土が崩れないように川から採取した葺石を表面に張る。その数なんと530万個が必要! 運ぶだけでも大変だ。
大林組の試算はこうなる。
☆工期
現代工法=2年6カ月
古代工法=15年8カ月
☆作業員数
現代工法=延べ2万9000人
(ピーク時、1日60人で計算)
古代工法=延べ680万人(ピ
ーク時、1日2000人で計算)
☆総工費(1万5000基の埴輪
製造は専門外のため工費から除
外)
現代工法=20億円
古代工法=797億円
*  
ちなみに、この試算当時の貨幣価値は現在のおよそ3分2弱。現在では1200億円に膨らむ。大山古墳から10キロメートル離れて造られている仁徳天皇の父である応神天皇陵(誉田山古墳)は、全長は425メートルながら墳丘の高さは大山古墳より高く体積では日本一で、大山古墳を凌駕する労力が必要だったらしい。こんなものを300年以上にわたって造り続けた古代人の墓造りにかけるエネルギーには脱帽するしかない。工期約16年とはいえ延べ680万人だ。人口の少ない時代に毎年延べ42万人を動員しなければならなかった。どうやって集めたのであろう。
どうです? 4~5世紀のこの時代に海外派遣して戦うだけの余裕があったと思いますか?

 

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。

2023-07-12 6面
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