青嶋 昌子
ある日、冷蔵庫の野菜室の中に、原形を留めないほどに朽ち果て、異臭を放つ果物を発見した……、それが『破果』の作者、ク・ビョンモがこの作品を書くきっかけになったという。
訳者あとがきによると、本作は2013年の発表当時はあまり話題にならなかったが、その後の韓国フェミニズムの勃興によって、注目を浴びることになった。主人公の爪角(チョガク)は40年のキャリアを持つとはいえ、今や65歳の高齢女性。
老眼や関節痛に悩まされる日々だ。まだまだイケると思っていても、旬を過ぎた果物がやがて傷んでいくように、老いは着実に人体に忍び込んでくる。
ドラマ『還魂』のヒロイン・ムドクは最強の殺し屋から、軟弱な肉体へと入れ替わる。強くなければ生き残れない武侠世界では致命傷といっていいだろう。歳を重ねて少しずつ衰えていった爪角と違い、ムドクは一気にその力を失うのである。
爪角やムドクの生きる世界で、力を失うとはどういうことか? それはもちろん命の危機を意味する。重い刀を迷いなく振り下ろしたり、狙い定めたところに銃弾を命中させられなければ、ゲームオーバーだ。では、力を失った二人の女性はこの先どうなるのだろう。
強かった記憶を持ったまま、その力を失うのは、辛いことであるのと同時に、別の意味での強さを手に入れることだといえないだろうか。
いかにも弱々しい見た目や、老人であれば、相手は勝手に油断する。現代社会でも同様のことがいえる。できるはずがない、知っているはずがない、という多くの偏見を華麗に飛び越えて見せた老人や弱者を、我々はこれまでどれほど見てきただろうか。
ここでもうひとつのバイアスへと話を移そう。65歳の爪角が年若い男性に恋心を抱いたとしたら、どうだろう。LGBTへの偏見はこの数年でずいぶん改善されたように思うが、高齢者の恋愛となると、いまだに多くの偏見にさらされている。LGBTの高齢者は二重の偏見にさいなまれるということになる。
ク・ビョンモは高齢男性と若い女性の恋愛は数多く描かれているのに、その逆となるとほとんどが、母性がテーマになってしまうことに異議を唱える。以前、韓国のある高名な詩人が、高齢男性に恋する少女はいても、高齢女性に恋する少年はいないと断言しているのを読んだことがある。ずいぶん前の話なので、彼も今は考えを改めているかもしれないが、一口に高齢者といっても、男女で扱いが大きく違うのは、今もあまり変わらない。
ムドクの場合はどうだろうか。彼女はまだうら若い女性だが、還魂人であり殺し屋という後ろ指を指される存在だ。恋仲のウクは彼女の弟子であり、類まれな力を持っているが、それゆえにさまざまな偏見にさらされる身である。このドラマを見ながら、出自や他者との違いによって、差別されることの理不尽さを思わずにはいられなかった。
そうした差別や偏見を見事に粉砕していく様がこのドラマの醍醐味でもある。
二人の殺し屋は、それぞれ運命に翻弄されながらも、みずから生きる道を模索していく。それこそが、偏見や差別にさらされながらつかみ取った本当の栄光だといえよう。 |