書き言葉と話し言葉
東アジア漢字文化圏で発展した『書き言葉』は、異民族間で使用されるツールになったと同時に、都と地方との方言の違いをも解決することになる。例えば、中世において津軽方言と鹿児島方言は『話し言葉』であれば意思の伝達は困難であった。しかし、『書き言葉』であれば違和感なく意思疎通ができた。また、『話し言葉』は時代の流れと共に急速に変貌を繰り返す。奈良時代の日本人がどんな発音をしたかなどは実際にはわからない。推測するしかないのだ。
しかし、『書き言葉』の変化はそれに比べて遅い。『歴史的仮名遣い』は仕組みさえ理解すれば古文献でも苦労なく読解ができる。『書き言葉』と『話し言葉』は、その存在理由そのものが違うのだ。昭和初期までは、国語教育に『古文』の概念はなかった。なぜなら中世、江戸時代の古典がそのまま国語として読めたからである。
現代かなづかいと当用漢字による混乱
ところが、『現代かなづかい』と『当用漢字表』というものが敗戦後に登場し、人々はそれまでの文献を読み取ることが突然困難に陥った。日本語は整合性に富んだ言葉であり、『現代かなづかい』を無理やり導入するまでの仮名の活用形には意味があった。『ア行』の『イ』と、『ワ行』の『ヰ』は、『現代かなづかい』では同じ『イ』と表記してしまうが違う発音である。nikka whiskyの表記がニッカ・ウヰスキーであり、『ヰ』を採用した理由は『ウィ』であったからだ。
また、漢字が当用漢字表により大幅に制限されることにより、『聯合』が『連合』としか表記できなくなった。『聯』は糸の字が示すように複雑に絡み合っている姿を表している。『連』は車が連なって進行する姿を表した文字である。全く意味が違う。
『現代かなづかい』というものを強引に作成した趣旨は、口語と文語を一致させるという大義名分にあった。既に述べたように口語と文語を一致させることには理論的な意味はない。
GHQ占領統治下での勧告
占領軍統治下にあって、ジョージ・D・ストダード博士を団長とする米国教育使節団は日本に一カ月間滞在。GHQの将校、日本側の教育者委員と教職者の代表者とも協議を重ね、一九四六年三月三十一日、勧告書を提出した。それによれば、日本が国際間で方向性を見誤って戦争に突入した原因は、その教育にあるとし、漢字が識字率の低下を招いたとした。そのため、漢字を廃し、ローマ字教育を徹底するように勧告した。以下、原文の抜粋である。
「すなわち、(一)過渡期における国語改革計画の調整に対する責任をとること。(二)新聞・雑誌・書籍およびその他の文書を通じて、学校および一般社会ならびに国民生活にローマ字を採用するための計画を立てること。(三)口語体の形式をより民主的にするための方策の研究」
この勧告により、国語教育からの漢字廃止と、日本語のローマ字化が推進されることとなった。その推進役となったのが国語審議会であった。
使節団は、漢字廃止の論拠を示す客観資料が必要だった。一九四八年八月、日本全国で大掛かりな識字率調査を実施、ランダムに全国から抽出された一万七千人がこれに参加した。結果の平均点は百点満点に換算して七十八点。漢字を識字できない人はわずか二%に過ぎなかった。この調査により使節団はその論拠を失い漢字廃止には至らなかった。統計結果が欧米の識字率より遥かに高いものであったからである。
しかし、『現代かなづかい』はそれでも粛々と推進された。それは何故なのか。実は『現代かなづかい』採用の暴挙の裏には、漢字廃止論者の怨念ともいえる長い歴史があったのだ。
(つづく)
聯と連は全く意味が異なる |