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2023年05月30日 12:33
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私が出会った在日一世~済州4・3事件を日本語で語る金石範囲④ 安部桂司
話し合いではなく憎悪による闘いを選択

 済州島の武装蜂起を肯定する金石範は「頑強」である。武装蜂起の肯定は、民主主義を否定することに通じる。敗戦後の日本の民主主義は「武装蜂起」を否定、テロと認識することで発展してきた。安倍晋三元首相の暗殺、岸田文雄首相への爆弾投棄はテロ事件として、日本社会は容認しない。
では、金石範の『火山島』が日本社会で一定の評価を受けたのは、何故だろうか? それは対米国へのルサンチマンのためである。
ルサンチマンとは哲学者ニーチェの言葉で「被支配者あるいは弱者が、支配者や強者に対してため込んでいる憎悪や妬み」のことだ。
民主主義社会の日本だが、人々の胸底深く、東京大空襲、ヒロシマ、ナガサキへのルサンチマンを抱えている。済州島で米軍が8万人も虐殺したとする金石範の叙述は、多くの日本人の同情を呼んだ。

だが、民主主義はルサンチマンを抑え込むことで成り立っている。やられたからやり返すでは民主主義社会は成り立たない。
徐彩源社主の生涯をたどればルサンチマンに満ちあふれている。だが「それを言ったらおしまいよ」とばかりに、徐彩源社主は『季刊三千里』誌の編集会議に出ても、それらしいことは一言もしゃべらなかった。
在日一世としてルサンチマンを抱いていないはずがない。それを言わないことで、徐彩源社主は日共の武装闘争の波を潜った在日一世として、火炎瓶を投げるよりも談論風発を選んだ。
金石範は、朴正熙を民族の敵と見なしていた。1975年の『季刊三千里』誌の創刊号に、以下のように叙述している。
「朴正熙を倒して韓国の民主化を実現するたたかいに与しようとするならば、党派的にならざるをえないと私は考える。反朴の立場で、かりに朴が倒れたあとにも事態が変わらぬとすればそれとのたたかいで、党派的にならざるをえない」(「党派ぎらいの党派的ということ」117頁)

徐彩源社主や金達寿一行の訪韓は、朴正熙大統領が暗殺された後である。金石範が「民族の敵」だと断定した朴正熙大統領は暗殺されたが、開発独裁の軍事政権は続いていく。それ故に金石範は、訪韓した徐彩源社主や金達寿などへ党派性を発揮する。徐彩源社主や金達寿への闘いを選択する。
民主主義の規範である話し合いではなく、ルサンチマンに基づく闘いの道を選択したのである。
それを知るには『季刊三千里』誌の3号に記載された金石範の以下の言葉が参考になる。
「アメリカは南朝鮮全域における革命的なたたかいの根を断つために、まずゲリラ闘争の震源地である済州島を抑圧する必要があった。その結果がベトナム虐殺の原型ともいえる”第二次大戦後さいしょの虐殺”となったのでした」(「済州島4・3武装蜂起について」104頁)

米軍の行った済州島4・3事件に対する鎮圧作戦は虐殺を生んだと金石範は糾弾する。この韓半島南部の米軍の武装蜂起への対応が、果たして金石範のいう”第二次大戦後さいしょの虐殺”だったのだろうか?
正義の言葉を発する場合には、同時期に38度線の北の全域を占拠した旧ソ連赤軍の蛮行を叙述する必要があろう。
1948年4月3日以前、旧ソ連赤軍は、占領政策に反対してデモ行進をする朝鮮の青年たちに向けてトラックの上に機関銃を備え付けて撃ちまくり、一網打尽にした。ウクライナに侵攻したロシア軍のブチャ虐殺をはるかに上回る蛮行であった。
この新義州デモ行進事件のことは、金石範の筆から知らなくてはならない。民主主義と正義のために知らなくてはならない。

2023-05-31 5面
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