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最終更新日: 2023-11-28 05:08:53
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2023年03月07日 11:19
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古代史万華鏡クラブ~天孫族はどこから来たのか?
その六・まとめ

 現代の日本で縄文人由来のDNAを持つ人の割合は2割という説がある。単純に考えると日本人の8割が弥生時代以後にアジア各地
から来た人の子孫ということだ。
天孫族(天皇家)がどこからやって来たかを考えている。正解のない謎だが、それを通して古代日本列島のことや周辺の国々のことが伝われば幸いだ。
これまでの連載内容を忘れた人も多かろう。ここでもう一度まとめてみた。
濊貊族が渡って来た倭の草莽の時代、人々はこの縄文時代とさして変わらない家に住んでいたであろう。体験してみたが、なかなか快適
 最初に騎馬民族征服説を考えた。私は〝騎馬民族は来なかったが騎馬文化は来た〟説だ。いったい朝鮮半島で国々が生きるか死ぬかで争っている時に母国を空にして遠征することなど出来ただろうか。おそらく倭勢力は高句麗との戦いの中で騎馬軍団の威力を見て騎馬文化を取り入れたのだろう。
古朝鮮の箕子(きし)朝鮮国が紀元前2世紀初めに滅びた後、一部の王族とその地域のツングース系の濊貊(わいはく)族が逃れてきたかも、という説も紹介した。ちなみに濊貊族は高句麗と同じ民族だが、騎馬民族的要素は少ない。
伝説の春秋戦国時代の呉の始祖王、太伯末裔説も興味深い。天孫族や南九州勢力の隼人がそれだというのだ。江戸時代の大学者、新井白石がその説をとる。周王の長子でありながら弟の子が自分より優れていると、王位を譲るために刑蛮の地に身を落とし呉の始祖となったことを儒者として理想の行為とし、神武天皇に投影したのであろう。古代の倭文化は中国の南方的要素が色濃く、この説も興味深い。
秦の始皇帝に命ぜられ、大船団で東海に乗り出した徐福の伝説もまんざら荒唐無稽な話ではないかもしれない。舟には百工(様々な技術者)を乗せたというが、弥生時代、草莽の地であった列島は急速に文明の光を得た。司馬遷の史記には〝徐福は辿り着いた地で王になった〟と書かれているではないか。
伝説的な話だけでなく魏志倭人伝に出てくる狗奴国にも注目しなければならない。邪馬台国と戦った種族だ。古事記や日本書紀にある熊襲(くまそ)である。その熊襲は滅法強く邪馬台国は負けたであろう。その強さを表わす記述が記紀にある。大和にあった勢力は熊襲を征伐しようと景行・日本武尊・仲哀の三代連続で親征。手こずったが制圧に成功したように書かれているが、仲哀は熊襲の放った矢に当たって死んでしまったと書かれている。返り討ちにあったことを匂わせているのだ。
大阪府羽曳野市にある応神陵。体積では仁徳陵をしのぎ日本一である。一日に千人が働いて造営に4年はかかると言われる。ただ正式の国書、日本書紀に陵墓の所在地が書かれていないのは応神天皇のみ(古事記には記載あり)。その理由は一体何だろう?
 熊襲を率いたのは応神(万世一系の天皇家の系譜でいえば応神は仲哀の第四皇子にあたるが)で、狗奴国が邪馬台国を破り九州一円を統一、さらに大和勢力の仲哀を打倒。子の仁徳が畿内の河内に東征し、後に大和に入り王朝を樹立した説がある。高名な歴史家・水野祐氏の三輪王朝から河内王朝への王朝交代説である。また倭の始祖王は神武=崇神(同一人物)ではなく、その応神こそ倭最初の大王であるという説もある。
その時代、九州と半島南部は同じ国のような様相だったというからそれは例外として、古代列島に渡来した人たちは何らかの事情でそうせざるを得なかった人々だ。勇ましい侵略者や元気な冒険者ではなく、動乱などにより、いわば祖国から弾き出された人々である。
紀元前194年に朝鮮半島に滅亡した国があった。衛氏朝鮮という国に滅ぼされた箕子朝鮮である。王族と残兵たちは南に逃げたと所伝にあるが、どうにもその行方が気になってしかたがない。上田正昭氏によると、列島に渡ってきた渡来人の大きな波の最初は紀元前200年ごろというから時期的にピタリと合う。
箕子朝鮮は半島の東海岸もテリトリーにし、濊貊族は濊の三水(さんずい)偏が表わすように海人でもあったようだから九州への渡海は容易だ。海人は川も得意だ。安曇族が千曲川を遡って長野の安曇野などにコロニーを作った。海外ではバイキングが川伝いにウクライナまで進出し、スラブ人を支配してキエフ国を作ったように濊貊族も急流の球磨川を遡ったのだろう。
中国人が悪字を当てた濊貊の「貊」はまさにクマモンのような奇妙な熊類のこと。蔑称のような熊襲の「ソ」は古代朝鮮語で「族」のことであるという。つまり〝熊族の地〟のことである。辿り着いた地に先住していたのは南方からやって来た隼人(はやと)と呼ばれる勢力だったろう。濊貊族は最先端の金属冶金を得意としていた。隼人は魔法のような技術を見て、来訪者を神としてとらえたのであろう。その隼人を支配し、長い長い年月をかけて日向や大隅半島にまで支配地を広げ、やがて隼人と共に邪馬台国を滅ぼし、大和への進出を果たしたのではあるまいか。応神の妃は日向泉長媛(いずみのながひめ)、仁徳の妃も日向出身の髪長媛であり、九州南部との深い関係がうかがわれる。
私は箕子朝鮮の遺民である濊貊族こそ天孫族のルーツだと思う。

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。

2023-03-08 6面
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