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最終更新日: 2023-05-30 12:46:51
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2022年10月12日 11:05
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古代史万華鏡クラブ~韓日古代史の謎を解く第1回
騎馬民族は日本に来たのか

美しく馬を飾った倭の武人。思わず騎馬民族かと思うほど勇ましいが、古代の倭では指揮官が権威の象徴として馬に乗った程度だろう。派手な騎馬戦の記録はない
 邪馬台国や卑弥呼の謎の解明は日本人の永遠のテーマだが、江上波夫氏が戦後となえた騎馬民族征服説はセンセーショナルで、今もそれらと並ぶくらいの謎である。
騎馬民族征服説を一言で言えば、騎馬民族の夫余族が中国東北部から南下して朝鮮半島で高句麗・百済・新羅を作り、続いて任那(加耶)を作戦・兵站基地に海を渡り4世紀前半に北九州に侵攻。さらに5世紀初めに東に移動して大和朝廷を樹立したという説だ。北九州に入った勢力を辰韓の辰王(実在した初代天皇説のある崇神天皇)に比定。畿内を平定した王を応神天皇としている。
その説の背景には考古学的見地がある。古墳時代前期(4世紀初~後期)の副葬品は鏡や勾玉、剣といった呪術的な物だったが、中期(4世紀末~5世紀後半)になると劇的に変わる。馬具が副葬されるようになり、武器や服飾類も東北アジアの騎馬民族とほとんど同類の物になる。この変化を根拠に騎馬民族が日本列島にやってきて征服王朝を作ったというのだ。
騎馬民族といえば遊牧民を連想してしまうが、それだけではないようだ。
(1)主にユーラシア大陸にみられる遊牧をともなう騎馬民族。
(2)東アジアの森林地帯に住み狩猟を生業とする森林狩猟騎馬民族。
(3)アジアやヨーロッパの農耕民のなかの騎馬を得意とする農耕騎馬民族。
(4)バッファローなど牛の狩猟を生業とする南北アメリカインディアン。
日本を征服したという夫余族は草原で暮らし粗放な農耕と狩猟を主体とする騎馬民族だったようだ。馬や羊と共に移動する遊牧民ではなかったから狭い朝鮮半島や日本列島に適応できたのであろう。
考古学的には騎馬民族の痕跡をはっきり認めることができるが、文字記録を基にした歴史学(神話学)ではその痕跡が露ほどもない。古事記や日本書紀の前半に馬の話がないのだ。普通、騎馬民族の伝説には馬がからむ逸話が欠かせないのに、記紀からは騎馬の風習すら見つけることができない。崇神天皇(辰王)が騎馬民族の親玉なら、運搬には馬を使った方が簡単なのに「船は天下の要用なり」と船を作らせたり、皇位継承では槍や刀を振り回す夢を見た皇子より、灌漑池を作り栗を食べる雀を追い払う夢を見た皇子に皇位を嗣がせたという逸話も、およそ荒ぶる騎馬民族ではなく、平和な農耕社会の指導者のようである。
その崇神天皇の曾孫で英雄伝説で彩られている日本武尊でさえ騎馬民族的要素は皆無。移動には船を使い、戦いは常に歩戦。最後には重病の身で杖をつきながら歩き続け力尽きている。馬を使えば容易に”うるわしい”大和に帰ることができたのに……。
記紀の神代の巻に登場する神々もとにかく”稲”にこだわっている。三神のうちの一柱である高皇産霊尊や高千穂に天降った瓊瓊杵尊といった神々はみな農耕に関係がある。産霊は稲が実を結ぶことであり、瓊瓊杵はにぎにぎしく稲穂の出ている様だという。秋に行われる五穀の収穫に感謝する新嘗祭、なかでも天皇一世一度の即位儀礼たる大嘗祭は天皇の最も重要な祭祀。後世、承久の乱で退位し大嘗祭を行えなかった仲恭天皇は「半帝」と呼ばれたらしい。
6世紀前半に武蔵国造であった勢力の古墳内部を再現。遺体の脇の一番良い所に鞍や馬飾りなどの馬具が副葬されていたようだ。武蔵国には官営の牧があったようだ
 とても草原を馬で走った民族がルーツとは思えない話ばかり。これじゃあ騎馬民族征服説が成り立たないと思うのだが、こんな説がある。
半島から攻め込んだ辰王の兵隊は男ばかり。北九州の農耕民を征服した後は当然、現地の娘を妻としたであろう。ところが北九州の住人は南方系で母系制であった。騎馬民族の夫は同居できず妻の家に通うことになる。子供は母と共に住み、そこには母の兄妹も一緒に暮らしていたであろう。要するに平安時代あたりまで続いた招婿婚(妻問婚)の原型である。農耕民の母親に育てられれば、3代も経過すると自分のルーツをすっかり忘れ、完全に同化してしまうというのだ。なるほどである。
それでもすっかり農耕民となっても再び騎馬民族化するのは可能みたいである。北米大陸に馬はいなかったが、アメリカインディアンはスペイン人が持ち込み野生化した馬に乗ることを短期間でマスターし、騎馬民族となっている。
100年ほどの後、農耕民から再び騎馬民族化した辰王の末裔が、応神天皇に率いられ東進して大和朝廷を作ったのだろうか…。
というこの説も少し無理があるように思う。文化勲章まで受章した江上波夫氏に逆らうようだが、騎馬民族は確かに新羅まで来た。しかし日本列島には「騎馬文化は来たが、騎馬民族は来なかった…」が正解のような気がする。

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。

2022-10-13 6面
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