渋谷で15歳の少女が起こした母娘刺傷事件は、その後の報道で9月に少女が家庭裁判所に送致されたと知らされた。今後、家裁が少女の生活状況などを調査したうえで、処分が決定されるという。この報道に対して、さまざまな意見や憶測が広がった。なかには少年法や家庭裁判所を批判する声もあがっていた。この事件は当然のことながら、韓国でも報道され、ネットニュースの読者投稿を見ると、概ね日本の反応と変わらない。少年であっても、凶悪事件に対しては厳しく対処すべきとの意見が多い。数年前まではフットボールクラブで面倒見のいいお姉ちゃん役だったという少女は今、何を思うのだろうか。
◆
前回のこのコーナーでは小説『鳥』に見る、子どもが大人から学ぶこと、子どもの目を通して見ている世界について考察した。今回はドラマ『未成年裁判』を通して、大人は子どもたちをどう扱ってきたかを考えてみよう。ドラマは冒頭からセンセーショナルだ。13歳の少年による犯罪、それも殺人事件である。犯人の少年は、14歳以下ならいわゆる触法少年として、処罰の対象にならないと知っている。少年法なら最長20年の量刑を与えることが可能だが、触法少年はせいぜい2年なのである。被害者の家族のやりきれなさは十分に理解できるし、少年を裁く側の人間の苦悶も伝わってくる。
ドラマにはキム・ヘス演じるシム・ウンソク判事以下、4人の判事が登場し、それぞれ異なった立場から、少年犯罪に相対する。その、異なった立場こそが、いわゆる大人の事情だ。それぞれちがうバックグラウンドを持つ彼らは、そこから少年犯罪を判断し、量刑を導き出していく。そうした現状の中、シム判事が訴えるのは大人の責任だ。
韓国は長幼の序を非常に大事にする国で、家庭内ならともかく、外で出会った大人に子どもがぞんざいな口をきくことなど、まずありえない。学校でもそれは同じで、余談だが筆者は留学当時、クラスの最年長であり、全員から敬語で話しかけられることに戸惑ったものだ。親しくなると、いわゆるタメ口で話す級友も増えていったが、当初はずいぶん距離を感じたものである。
◆
子どもに大人を尊敬しろと言うのなら、大人は子どもに模範を示すことのできる存在でなくてはならないだろう。だが果たして大人は子どもの模範となっているだろうか? 小説『鳥』に登場する大人たちは宇美の模範になれただろうか? いわれのない暴力にさらされ、建前ばかりの優しさを強要する先生を前にして、宇美は大人を尊敬できるだろうか?
韓国語の大人という言葉には、地位が高いという意味も含まれる。それなりの研鑽を積み、尊敬される立場を示している。年齢を重ねただけで大人になれるわけではない。それならば、子どもがどんな大人になるかは大人の責任といわずに誰の責任だというのだろう? きちんと責任の取れる大人になりたいものである。
青嶋昌子 ライター、翻訳家。著書に『永遠の春のワルツ』(TOKIMEKIパブリッシング)、翻訳書に『師任堂のすべて』(キネマ旬報社)ほか。 |