前回の掲載から2カ月が経った。今年は例年になく厳しい暑さや突然の豪雨という、自然の脅威を改めて感じさせる夏となった。コロナの猛威も依然として予断を許さない中、子どもたちは楽しいはずの夏休みをどのように過ごしただろう。
こんな前置きから始めたのは、この夏、衝撃的な事件が日本列島を震撼させたからだ。渋谷で15歳の少女が起こした母娘刺傷事件のことである。「死刑になりたかった」「母と弟を殺そうと思っていた」と、事件とともに少女のさまざまな供述が報道された。渋谷という大繁華街では、大なり小なり常に何かの事件が起こっている。しかし、女子中学生が自分のそばを歩いていても、それを脅威に感じることは、恐らくないだろう。筆者はこの事件の第一報を聞いて、すぐにこの連載のことを思い出さずにはいられなかった。特に、小説『鳥』の主人公である11歳の少女・宇美(ウミ)のことを。
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前回は、クラスのみんなが可愛がっているぬいぐるみのクマちゃんに、宇美が何かをしでかした、というところで終わった。宇美が一体クマちゃんに何をしたのか、まずはそこから語っていこう。
クマちゃんが家にやって来るからと、宇美は弟の宇一(ウイル)と一緒に部屋を片付け、雑巾をかけて、招待の準備をする。だが家に来たクマちゃんは終始つまらなそうな顔をしている。夕飯のラーメンも食べようとしない。よその家ではご馳走を食べたであろうクマちゃんに腹を立てた宇美は「うるさいこと言ったらひっぱたくよ。私はうるさいのは我慢できないの」と大人のような口をききながら、ぬいぐるみを殴る。挙句の果てに、宇美はクマちゃんのお腹を裂いて中身を全部掻き出した後、こぼれたラーメンやら、ちびた鉛筆やら、クレヨンやらを詰め込むのである。そうして、他人の家での暮らし方、ぶたれても声を出してはいけないこと、つまり自分が大人たちからされてきたことを、クマちゃんに学ばせようとする。11歳の宇美にとっては、大人にされてきたことが、自分の人生のすべてなのだ。
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母娘刺傷事件を起こした少女の周囲にどんな大人がいたのか、報道だけでは知る由もないが、「母の嫌いなところに自分が似てきた」のが我慢できなかったという言葉にはドキリとさせられる。宇美がクマちゃんを叱ったときの「うるさいこと言ったらひっぱたくよ」という言葉は、宇美がそうと気づかずに使った大人の言葉だからだ。
大人から受けてきた理不尽な叱責や暴力が、宇美自身よりさらに弱く従順なクマちゃんに向けられる。もちろん宇美はクマちゃんが生き物ではなく、ただのぬいぐるみだと知っている。だからこそ、クマちゃんを擬人化して大事にする周囲をあざ笑い、クマちゃんのお腹を裂くことで、大人の真似をして留飲を下げるのである。
今回はドラマに触れなかったが、次回は未成年と大人の関わりをドラマから探っていこう。
青嶋昌子 ライター、翻訳家。著書に『永遠の春のワルツ』(TOKIMEKIパブリッシング)、翻訳書に『師任堂のすべて』(キネマ旬報社)ほか。 |