数々の歴史を見てきた韓国初の集合住宅「忠正アパート」(ソウル市西大門区)が、その姿を消すことになった。
ソウル市は15日、都市計画委員会を開き、麻浦区5区域の整備計画案が修正・可決されたことを明らかにした。都市整備事業が確定したことにより、忠正アパートの撤去が決定した。
高層ビルの狭間でひときわ目を引く黄緑色の建物。肉眼でもはっきりと確認できるほど、あちこちに亀裂が入った古い壁。8カ国でランキング1位となったネットフリックスドラマ「スウィートホーム」の撮影現場にもなったこの建物は、数十年前から崩壊の危険が指摘されていた。
地下鉄2号線の忠正路駅から100メートルほど進んだ場所にある忠正アパートは、国内最古の集合住宅(ソウル市建築物台帳基準1937年)だ。しかし、建築年度は定かではない。1932年1月に建てられたという記録もある。元々は日本人の建築家、豊田種松(とよた・たねお)が建てたといわれており、「豊田アパート」または「プンジョン(=豊田の韓国語発音)アパート」と呼ばれていた。
30年代の板東(ばんどう)ホテル(現在のロッテホテル小公洞本店)と並び、ソウルを象徴するランドマーク的建物として知られていた。
当時は主に日本人が暮らす住居地だった。最新の設備を備えていたことから、日本人の間では入居希望者が殺到していたという。
そんな華々しいスタートを切った忠正アパートは、6・25韓国戦争を機に風向きが変わる。6・25当時、ソウルを占領した北韓軍がアパート地下を人民裁判所として利用し、数多くの民間人を虐殺した。同年9月28日にソウルが奪還されると、今度は米軍が国連軍専用ホテルとして使用した。当時の建物名は「トレマーホテル」だったが、60年代には「コリアナホテル」へと名称を変えた。さらに75年には再びホテルからアパートへともどった。
79年には建物が分割されるという事態が発生した。建物の北を通る忠正路の車道を8車線へと拡張させるため、建物の3分の1が撤去されてしまったのだ。52戸のうち19戸が撤去され、19戸のうち3戸が建物の中央階段があった場所をあてがわれ現在のような独特な形となった。
月日が経ち、忠正アパートは2008年に都市環境整備区域へと指定されて再開発の対象となった。しかし、補償等の問題によって開発が頓挫した。朴元淳・前ソウル市長の在任中には文化遺産として指定・保存することが決定していた。しかし、安全面の問題と住民らの反対によって、最終的に忠正アパートは撤去されることになった。
ソウルのランドマークから民間人の虐殺現場へ。アパートからホテル、そして再びアパートへ。保存を決めた前市長の決定から一転、再び取り壊すことが決定……。90年間、激動の歴史を見てきた韓国初の集合住宅がその姿を消すことには、さまざまな思いが交差するだろう。
(ソウル=李民晧)
 | 韓国でもっとも古い忠正アパート(ソウル市西大門区忠正路) |
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