「ミンスク議定書」は、2014年9月5日、ウクライナとロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国の間で署名した、「ドンバス戦争」の停戦文書だ。欧州安保協力機構(OSCE)の仲裁でベラルーシの首都ミンスクで署名され、「ミンスク議定書」あるいは「ミンスク議定書1」と呼ばれる。
12項目の合意には△ドネツクとルガンスクに関する権力分権化△捕虜の釈放△関連人士たちの起訴と処罰を防ぐ立法△ドンバス地域の人権改善△ドネツクとルガンスクでの早期地方選挙△ウクライナから武器及び兵力撤収△ドンバス地域の経済再建などが含まれた。しかし、2週間も経たずに有名無実化、15年2月12日に独首相、仏大統領、露大統領、ウクライナ大統領とドネツク、ルガンスク代表が追加条項を含む「ミンスク議定書2」に合意した。
議定書2の13項目には、△OSCEによる休戦及び武器撤退監視△ドネツクとルハンスクに対する特別地位承認△ウクライナとロシアの国境統制確立△ドンバス地域のすべての外国軍及び武器撤退△実務グループ構成―などを含むが、主要な措置はほとんど履行されていない。
ミンスク議定書が守られない根源的に背景は、ロシアに対する西欧の戦略的包囲と圧迫との見解がある。ロシアはNATOに「東への拡張中断と国境地帯に武器を配備しないこと」を要求してきたが、西欧はこれを無視したというものだ。米国は13年11月からウクライナの親露政権に対する転覆工作を背後で操縦、14年2月に「マイダン革命」で親米政権を樹立したといわれている。
ロシア系住民が多数の南部(クリミア半島)と東南部(ドンバス地域)は、ネオナチの蛮行に対抗しロシアの支援の下、独立を追求。ロシアがクリミア半島を占領し、ルガンスク共和国とドネツク自治共和国が住民投票を通じて独立を宣言するや、ウクライナが直ちに攻撃、ドンバス戦争が始まる。
以来、米国から莫大な軍事援助を受けてきたウクライナが19年2月、NATOとEU加盟推進を憲法に名文化したのが、ロシアのウクライナ侵攻のトリガーとなった。 |