米国連邦準備制度理事会のパウエル議長が第2四半期から本格的に基準金利を上げる姿勢を示していることを受けて、韓国でもこれに対応する必要性が出てきているとの認識を示している。
今回の基準金利決定会議(連邦公開市場委員会、FOMC)でいったん0・25%引き上げを決定した後、「今後は、0・5%の引き上げが適切ならば、利上げを断行するだろう」と述べ、インフレに対応するため今後、より積極的に基準金利を引き上げる姿勢をパウエル議長が正式に示唆したことに対応すべきとの声が韓国国内では出ているのである。
今後、米国の本格的な金融引き締め政策が進展していけば、物価、雇用、経済成長などに影響を与えることは必至である。
経済回復への期待感を利上げが打ち消してしまう危険性もあり、韓国国内でも、尹新政権の金融政策が注目されている。
尹次期政権への引き継ぎが進む中、次期新政権を支えるであろう中枢からは「インフレ、つまり物価上昇に勝てる政府はない。国民は経済成長が鈍化することは容認できても、インフレーションが進展すれば、庶民生活にも悪影響が出、国民の不満が政府に向けられる可能性は高い」との見方が出ている。
こうしたことから判断すれば、尹新政権からは、インフレ抑制に向けた金融政策が当面は示されるのではないかと見られている。
インフレが続くと、庶民生活には堪える。低所得層になればなるほど、インフレが生活を圧迫、そして生活が出来なくなるほどのインフレともなれば、庶民はその怒りを自らの政権に向けてくる可能性も出てくる。
以前、朴正煕政権で韓国はインフレ問題に直面した。朴正煕政権は、1962年から社会経済発展5カ年計画をスタート、自由主義経済陣営にはあったものの、事実上の計画経済的な国家運営を始めた。当時の韓国は、軽工業中心の経済状況にあったが、朴政権は韓国の産業構造を重化学工業へと転換せざるを得ないと考え、国家運営の舵を重化学工業化へと大きく切った。投資資金に関しては、日本などから獲得すると共に、国が借金をすることを軸に、通貨供給を増やして対応。対外債務は、その後獲得する外貨を返済に充てていくという体制を取った。こうした結果、国内の通貨供給量が増えた韓国は、通貨の価値が下落、インフレ傾向が進展していった。
一時期は、預金金利18%、貸出金利12%という時代もあったため、銀行は重化学産業に融資すると逆ザヤになるという事態に陥った。重化学産業育成資金は、先ずは韓国政府が銀行に対して供給、支援、その資金をもって銀行が財閥企業を中心に、韓国政府が上述の5カ年計画によって定めた「有望成長産業」に指定された業種の企業へと優先して融資・育成していったのであった。
朴政権の政策により、韓国政府が指定した有望成長産業が発展、成功すると外貨を稼ぎ、韓国経済の発展の原動力となった。いまの韓国経済の基盤を作った大きな功績といえるだろう。半面、その過程で財政は悪化したのも事実。当時、原材料や素材、部品の多くは輸入によって調達され、一方で輸出は簡単には伸びず、貿易収支の赤字も発生した。この結果、通貨・ウォンも下落、輸入インフレも発生、そして国際商品の米ドル建て価格の上昇も追い打ちをかけて、40%を超えるインフレが発生した。朴大統領は暗殺され、志半ばで世を去ることになる。その後、全斗煥政権が誕生、その全政権は物価対策を優先、国際グループなどの財閥グループ破綻事件はあったものの、物価は安定し、その流れを受けて1988年のソウルオリンピックを開催できるまでとなり、今日の発展基盤を構築していった。
いずれにしても、韓国のみならず、どの国にとってもインフレは対応しがたい難しい問題であろう。
(愛知淑徳大学ビジネス学部ビジネス研究科教授 真田幸光) |