 | 馬場畜産物市場 |  | 三河島朝鮮マーケット | 都市で暮らすうえでは農漁村からの食料の供給が欠かせない。約1000万人が暮らすソウルと東京23区の食卓を支えるのは、その流通の拠点となる卸売市場の存在だ。韓国語では「都賣市場」という漢字を当て、それは街中にある伝統市場と混在する面はあるが、ここでは食材を中心とする卸売市場に着目してみたい。
ソウル最大の水産市場といえば、漢江の南岸にある鷺梁津水産市場である。東京では築地から移転して名称を変えた豊洲市場のような存在だが、後者は青果も取り扱う。鷺梁津水産市場は一般客でも気軽に入れる卸売市場で、フロアに並ぶ各商店の青い水槽から魚を選んで購入でき、それを市場内の食堂に持っていけばその場で新鮮な刺身が味わえる。一方で豊洲市場ではターレという小型の運搬車両がせわしなく走り回り、基本は見学客のみの受け入れである。しかし旧築地市場の隣で今も営業を続ける築地場外市場の情緒漂う横丁の食堂では寿司や刺身、商店では蒲鉾や卵焼きが買え、食べ歩きもできるところが魅力だ。ちなみに2016年に豊洲市場が完成して移転問題に揺れていたころ、鷺梁津水産市場では旧市場の隣に新しい建物が完成した。しかしそこへの移転を拒む業者がいたため、19年末頃まで新旧の双方で営業を続けていたことは奇遇にも状況がよく似ていた。
そして食肉市場といえばソウル東部の清渓川の川岸に位置する馬場畜産物市場がよく知られるが、厳密には伝統市場に区分される。馬場洞というこの街には、朝鮮時代に鍾路から移された牛馬市があり、屠畜場もあった。この市場では首都圏に流通する約6割の畜産物を取り扱うといい、ソウルのお店で食べる焼肉もここを経由しているのかもしれない。一方で東京では高浜運河の脇、品川駅東側に位置する食肉市場が唯一の存在で、ここには芝浦と場を併設しており、こうした施設が都民の食生活を支えている。
馬場畜産物市場の薄暗い市場内でピンクの光に照らされた店頭には肉の塊が吊るされ、ショーケースには赤身に霜を振った精肉も並ぶ。これを強いて東京に例えるならば三河島朝鮮マーケットと呼ばれる路地がそのミニチュア版とも思えるが、ここでは肉類だけでなく韓国の食材も販売されている。また馬場畜産物市場の2階には市場内の業者が共同で運営するセルフ式焼肉店があり、購入した肉を持ち込んで焼肉を味わえる。さらに隣の横丁には焼肉店が何軒も並んでおり、ここは特殊部位も味わえる穴場だが、今年3月にはその数店舗が全焼する火災が発生し、早期の回復が待たれる。
そしてソウル最大の卸売市場は東南部の可楽洞農水産物綜合都賣市場である。今では電子街がある龍山から1985年に移転してきた市場だが、東京でも電子街で知られる秋葉原にあった神田青果市場を前身のひとつとし、青果・花卉では東京最大の卸売市場、大田市場にも例えられる。大田市場はウォーターフロントの一角にあるが、可楽洞の市場の周囲はアパート団地が密集しており、周辺の雰囲気は異なる。しかし市場内を多くのトラックが行き交い、コンテナが積まれ、食材の流通の拠点になっている点では同じだ。
またソウルには金浦空港の脇に江西市場という卸売市場があり、東京23区内では世田谷、板橋、足立、葛西などに公設の卸売市場が点在するが、ソウルでは卸売を行う伝統市場まで含めれば、同様に市内各所に散らばっている。
ソウルでも東京でもこのような卸売市場、さらにはスーパーや街の商店を経て食材が届けられる。ソウルの韓定食店でお膳の脚が折れるほどに並ぶおかずの食材がどのようにたどり着くかを想像してみれば、都市に対する理解がより深まるに違いない。
吉村剛史(よしむら・たけし)
1986年生まれ。ライター、メディア制作業。20代のときにソウル滞在経験があり、韓国100都市を踏破。2021年に『ソウル25区=東京23区』(パブリブ)を出版。 |