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最終更新日: 2021-04-21 00:00:00
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2021年03月31日 00:00
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李熙健 「鴻鵠の志」大災害時の貢献
阪神淡路大震災時も唯一、窓口を開けた興銀

 2011年3月21日、在日韓国人社会の基礎を作った巨人が他界した。在日民族系金融機関「大阪興銀」と 母国韓国で「新韓銀行」を設立した李熙健氏(1917~2011)だ。3・11東日本大震災と李熙健10周忌を偲び、1995年1月に発生した阪神淡路大震災時における氏の抜きん出た活躍を振り返る。(ソウル=李民晧)

震災被害者に無担保で緊急融資

1995年1月、兵庫県で発生した阪神淡路大震災。当時、いち早く行員が現場に駆けつけた銀行があった。李熙健率いる関西興銀(大阪興銀の後身、以下興銀)だった。興銀は被災者らに無担保で5万円を即時融資し、安否確認の電話をかける際に必要となる小銭を入れた袋3500袋を無料で配布した。当時、各銀行はオンラインネットワークの停止により閉店を余儀なくされたが、李熙健は「本来の金融業はオフライン」と述べ、興銀の戸を開いた。


地域に甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災。火災の起きた民家と脱線した電車
 大震災に現れたバイク救援隊


「1月17日、大震災が直撃した神戸市は辺り一面が炎に包まれた。修羅場と化したその日の夜11時、大阪・天王寺区から30数人がバイクで闇を駆け抜け廃墟と化した神戸市内に向かった。バイクの後部座席には水や毛布、パン、おにぎり、寿司などの生活必需品を山のように積んでいた。30人の救援隊の国籍は韓国。李正林専務、梁富三常務ら関西興銀の職員だった」
阪神大震災の発生当日、李熙健は出張で東京に滞在していた。早朝、テレビで地震のニュースを見た彼は、すぐさま受話器をとった。
「李正林専務、すぐに地震対応チームを構成してください。神戸支店などの状況を把握し、できるだけ早く現場に行って被災者の救助にあたってください。迷わないで、早く」
「え? どのようにですか?」
「ニュースによると、過去最大級の強震だ。あちこちで民家が倒壊し、市民は着の身着のまま外に飛び出したようだ。それに、神戸といえば我々在日同胞らが多く暮らす地域ではないか。職員たちと共に救援物資をできるだけ多く用意し、現場に向かう方策を立てるように」
「はい、理事長。直ちに動きます」
興銀の救援隊が構成されたのは、李熙健からの1本の電話が原点だった。同日、興銀社員らは終日、食料品や毛布などの生活必需品を用意するために総力戦を展開した。そして午後6時、大阪の興銀本店から30人の救援隊が現場に向けて出発した。しかし、神戸までの道のりは平常時より数倍の時間を要した。地震によって高速道路や国道があちこちで封鎖されていた。そのため、行く先々で迂回を繰り返しながらバイクを走らせた。彼らが乗っていたバイクは、興銀の集金用バイクだった。
翌日、一人の韓国メディアの特派員が興銀の救援隊員に尋ねた。
「なぜ、そこまでして現場に向かうのですか」
「人が、我々の同胞が亡くなっているのに。じっとしているわけにはいかないでしょう」
「日本人も朝総連も隔てなく、みんな救助せよ」
地震発生当日、民団は緊急中央常任委員会を招集し、(1)対策本部の設置(2)中央幹部の現地派遣(3)被災状況の把握と支援運動の展開を決定した。18日には民団大阪本部で、辛容祥中央団長主宰のもと対策会議が開かれた。民団幹部・団員らは同日夜、神戸の民団兵庫本部に集結した。
当時、在日同胞たちは被災者の救済措置として「国籍を問わず全ての人を救助する。韓国系同胞だけでなく、朝総連、日本人も全てが対象」という方針を定め、民団兵庫本部を対策本部兼被災者連絡センターに指定した。
阪神淡路大震災は地域に甚大な被害をもたらした。5500人以上の死者、2万7000人の負傷者を出した。家屋15万棟が破損するなど、経済的被害も10兆円に達した。大震災は、在日同胞社会にとっても大惨事となった。神戸、西宮、芦屋などを合わせ、在日同胞129人が死亡した。特に神戸で在日同胞が最も多く住む長田区は、火災で焼け野原と化した。長田区は在日同胞が経営する靴(ケミカルシューズ)の零細工場400数棟が密集していた。靴の製造に使用される引火性の化学物質が火種となり、工場一帯は一昼夜にして全て焼失した。
長田区・神楽小学校周辺の「韓国人通り」では、建物が倒壊し、ほとんどの道路と路地が跡形もなく消えた。長田区に暮らす1万人の同胞たちは、地震で路上に放り出されるという絶体絶命の危機に陥っていた。

金融業はオフラインから始まった

興銀行員らはバイクと自転車で銀行と避難所を往復しながら、在日同胞と日本人被災者らに食料を提供した。民団は神戸の東側からきた救援物資は大阪に、九州など西側からきた物資は姫路へと振り分け、効率よく被災者らに行き渡るような体制を整えた。
興銀の支援活動では、また別の名場面もあった。空前絶後ともいえる被災者金融支援策だ。被災者らに5万円ずつ、無条件で現場融資を実施したのだ。名前と連絡先だけを求める「究極の信用融資」だった。銀行の常識からはありえない支援策だった。無担保による融資そのものはもちろん、リスクの大きさからも、銀行にとって「最悪の手段」だったからだ。支援策の実行を躊躇する興銀行員らに対し、李熙健はこう語った。
「今は困っている人を優先して助けるべきだ」
阪神淡路大震災の発生時、新韓銀行と関西興銀の職員らがボランティア活動を展開
 興銀は緊急資金融資として、2500人に総額7162万円を融資した。李熙健はまた、公衆電話代として1000円分ずつ小銭を入れた袋、3500個を被災者らに配布した。融資を申し込む際は偽名であっても確認することはなく、返済の督促もしなかった。しかし、驚くべきことが起きた。緊急融資を受けた人の95%以上が後日、興銀を訪れ、借りた額を返済したのだ。当時、興銀で商品設計部長を務めていた李相華(イ・サンファ)氏も「正直、回収できるわけないと思っていましたが、返済してくれる人の多さに驚いた」と語った。
一方、阪神淡路大震災当時、神戸市内にあった日本の銀行は全店舗が閉店していた。地震の衝撃でオンラインネットワークがストップしたからだ。銀行の閉店は当然ともいえる対応だった。
しかし興銀は震災時にも関わらず、平常時と同様に窓口を開けていた。金融業界では、オンライン電算システムが機能しない状態となっても通常通り業務を行った興銀のアクションを疑問視する向きもあった。これに対し、李熙健の答えは明快なものだった。
「金融業とはですね、本来オフラインから始まったものです」
震災前に850世帯だった興銀神戸長田支店の顧客数は、1年で2倍に増えた。顧客に自ら赴く姿勢、人を最優先する興銀の理念、(金融)業の本質は大震災の混乱下でも守られ続けていたのだ。

 「新韓銀行」も救護活動

1月20日、李熙健は急いでソウルに戻り、外務部と青瓦台を訪問した。
「どの国よりも先に我が国が日本の被災地に救援隊を派遣してください」
韓国は実際、世界各国の中で最も早く阪神淡路大震災の救援活動に乗り出した。韓国から出発した阪神淡路大震災支援団第1陣は1月22日、外務部の第1次官補・李在春を団長に被災地入りした。政府が特別編成した大韓航空貨物機には30万ドル相当の毛布と食料品、薬などが隙間なく詰め込まれていた。韓国政府が阪神淡路大震災当時に支援した義援金は総額500万ドルだった。これに加え、人命救助団、医療支援団も派遣した。
興銀は被災者らを救済するため、積極的に金融支援を行った。信用ベースで1人あたり最大300万円の融資をはじめ、緊急事業資金、住宅復旧資金の融資などだ。その後「新韓銀行」の行員40人が慰問公演団と共に神戸に到着した。興銀と新韓銀行は共に救護活動を展開し、韓日両国で高い評価を得た。阪神淡路大震災当時、民団と韓信協、商工会などの在日同胞社会が工面した義援金は、6億5000万円に達した。
電気、ガス、水道が止まり、交通網が寸断された大震災の過酷な現場。災害の最前線に最も早く駆け付けた外国人は他でもない、韓国人だった。

2021-03-31 3面
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