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最終更新日: 2020-10-28 00:00:00
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2020年10月07日 00:00
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朝鮮女優史探 第4回

劇団「演劇市場」時代の文藝峰 出典=『毎日申報』1931年7月2日
 「朝鮮の代表的な監督・羅雲圭から映画界に誘われた女優」「朝鮮初のトーキー映画『春香伝』の主演女優」「来朝したハリウッド巨匠監督・スタンバーグ(Josef von Sternberg)から賞賛された女優」「内地(日本)に進出した女優」「映画製作を手がけた女優」「朝鮮初の宣伝映画『軍用列車』に出演した女優」「戦時下『映画人登録制』に一番目で登録された女優」。これらは、すべて文藝峰を示す表現である。第2世代女優として無声映画期にデビューした文藝峰は以後、朝鮮映画界を代表する存在となるが、演劇活動の出発点は舞台であった。
1917年に、父親の文秀一と母親のオ・ヨングムの間に生まれた文藝峰は、演劇がすべてだった父親のため、母親と別れ、貧しい環境で育てられた。父親が経営する流浪劇団で5歳から舞台に立つが、本格的な演劇活動を始めたのは、13歳からである。その頃、朝鮮で新派劇の人気は最も高く、劇団を代表する人気女優たちが大勢の客を招き寄せた。この潮流に棹さしたのが文秀一である。娘を女優として大成させようという文の思いは熱いものであった。「毒婦の権勢」の申銀鳳、「哀切な姫様」の李愛利秀、「涙の女王」の李京雪といった人気女優たちが属している有名劇団を娘と共に転々としながら、娘に演技を学ばせた。
そうした中、文藝峰がメディアで注目され始めたのは、文秀一が旗揚げした劇団「演劇市場」においてである。「演劇市場」はこれまでの劇団と異なり、喜劇を優先する傾向を持っていたが、文藝峰が好評を博したのも喜歌劇『富者と両班』である。初めて成人役として舞台に立った文藝峰は、間ぬけ役を演じた。しかし、朝鮮で当時の植民地事情を暗喩する悲劇は最も人気のあるジャンルで、「演劇市場」でも「涙の女王」の李京雪の存在感は大きかった。3人の人気女優の中で李京雪は、「演劇市場」の創立メンバーとして参加し、文藝峰と長い間苦楽を共にした女優である。当時、豪華な演劇人で構成された「演劇市場」は8カ月間の短い全盛期を終え、解散したが、復活と解散を繰り返しながら、1937年まで存続した劇団であった。1933年に文藝峰は劇作家・林仙圭と恋に落ち、結婚することになる。文秀一は、無名作家と娘の結婚を受け入れず、猛反対した。別れさせようと、娘を劇団に呼び出し舞台に立たせたが、文藝峰は肺病を患った夫や生まれた子供のため、父親の劇団に属し一人で生計を立てるしかなかった。初め喜劇で脚光を浴びた文藝峰であるが、その頃すでに李京雪のような存在となっていた。彼女の回想によれば、舞台の後ろで泣く子供の声と入院した夫のことを考えながら、舞台上で泣いたが、そうすると藝峰の演技が上手いと拍手を貰い、それでより悲しくなって、また泣いたと述べている。結婚と出産、父親の反対の中で守り続けた夫との愛、また貧しい劇団の中での演劇活動、そうした経験を通して文藝峰は悲劇にも強い女優となっていった。

李瑛恩(芸名イ・アイ) 韓国の女優。日本大学芸術学部で、学士、修士、博士の学位を取得。主演作として『大韓民国1%』『ダイナマイト・ファミリー』などがある。

2020-10-07 6面
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