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最終更新日: 2020-10-18 19:54:25
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2020年08月15日 00:00
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在日学徒義勇軍は韓米同盟の元祖
642名、世界初の海外国民による救国参戦

 1950年6月25日、北韓の金日成共産軍による奇襲南侵で始まった6・25戦争(以下6・25)。確かに6・25に参戦したにも関わらず、祖国から忘れられた英雄たちが存在する。642名の在日学徒義勇軍だ。祖国を救おうという一心でペンを銃に持ち替え戦った在日同胞の学生たち。彼らの参戦は、世界史上初の海外国民参戦といえる。韓米連合軍で韓国志願兵だったKATUSA(カトゥーサ)の元祖、韓米同盟の出発点でもあった。(ソウル=李民晧)

 祖国の戦線に参戦するまで

6・25が勃発するなり、民団は緊急会議を招集した。6月27日と30日に会議を開き、北韓の奇襲不法南侵を糾弾した。そこで民団が下した重要な決定こそが、在日学徒義勇軍の派兵だった。
6・25在日学徒義勇軍出挺式(1950年9月13日、民団千葉本部)
 「民団は全国青年学徒の志願兵を祖国の戦線に派遣する」
その後、駐日韓国代表部と足並みをそろえるべく、同年8月8日、民団中央本部内に志願兵指導本部を設置し、義勇軍の募集を開始した。集まった志願者は1000人強で、その殆どが20代の若者だった。身体検査と身分照会、思想検証など所定のテストを通過したのは653名だった。最終的に在日学徒義勇軍として選抜されたのは642名だった。このうち、日本の大学に在学中、または大卒以上の学歴を有する者が約130名だった。
9月13日、69名の在日学徒義勇軍は、横浜港から米国の輸送船「フェニックス号」に乗船した。彼らが在日義勇軍6・25参戦第1陣だ。出発前、米国第1騎兵師団が置かれた朝霞基地で軍事訓練を受け、祖国の戦線では米第7師団に所属した。
在日義勇軍らの初戦は仁川上陸作戦。戦況は我軍が韓半島南部の洛東江の河口付近まで押されるなど、共産勢力によって全国土が陥落寸前、いわば風前の灯火という状態だった。まさにその時、世界の戦争史上もっともドラマチックな反撃作戦が展開されたのだ。在日義勇軍らは、堂々1000名の米軍戦闘隊員と共にその歴史を塗り替えた。
その後、第2陣は137名、第3陣は151名が次々に合流した。在日義勇軍の主な任務は米軍通訳、軍需基地の警備、占領地の治安業務。韓国の言語と文化、地理に暗い米軍にとって、在日義勇軍の存在は、千軍万馬を得たのも同然だった。特に、日本で共産主義者と思想闘争を繰り広げた彼らの経験は、東方の名も知らぬ国での参戦不安を耐え抜く大きな支えだった。

 3・1独立大隊…韓国軍の一員として

何よりも米軍は、在日義勇軍らの救国精神に強く感銘を受けていた。共に参戦した米軍の中からも在日義勇軍を支援する者が現れた。ゴウザワ(Jimmy S・Gozawa)中尉だった。日系2世の米国人だったゴウザワは、韓国人として日本で暮らす在日同胞の複雑な立場を深く理解していた。
在日義勇軍だけの独立部隊が創設されたのも、ゴウザワの支援によるところが大きかったとされる。ゴウザワ中尉は、米軍の高位将校たちと個別に会い、在日義勇軍部隊創設の必要性を説破した。ついに米第6旅団長のジョージ・スチュアート将軍は、在日独立部隊の創設を承認した。これが「3・1独立大隊」だ。
6・25に参戦した在日学徒義勇軍の肩章には、彼らの身分を示す唯一の標識となる「FROM JAPAN」という文字が刻まれている
 1950年11月に誕生した在日学徒義勇軍部隊への参与人数は321名だった。部隊名は「3・1運動(=1919年、日帝に抵抗した朝鮮人の独立万歳運動)の独立精神を継承する」という意味が込められていた。編成は中隊2つと小隊4つ、そして16の分隊で構成され、米軍下士官らが小隊の指揮を執った。「3・1独立大隊」A中隊(160名)とB中隊(161名)の中隊長は、それぞれチョン・ウォンジョとコン・テヨンだった。
訓練教官は、韓国軍が担当した。申という姓を持つ少尉の指揮下で訓練を受け、ゴウザワ中尉は日本語バージョンの軍事手帳を作り、義勇軍たちを支援した。しかし、すぐにでも実戦に配備されるだろうという義勇軍らの期待は一瞬で泡と消えた。
本格的な訓練に臨んで2週間が過ぎる頃、大隊の解散命令が下されたのだ。中国共産軍が6・25に介入したことで我軍の北進にストップがかかったのだ。そのため、3・1大隊の活動計画も白紙化されてしまった。
在日学徒義勇軍は反発した。米軍司令部の建物前でデモも行った。しかし、米国の決定は揺るがなかった。「軍隊は命令に生き、命令で死ぬ」のだから、どうしようもなかった。義勇軍らは渋々ながらも解散決定を受け入れざるを得なかった。
彼らは再び軍番なき軍人へと戻った。無報酬で米軍部隊の警備任務を行ったり、一部は日本に帰ったりした者もいた。しかし、ほとんどは祖国に残って最後まで戦うことを望んだ。ペンを銃に持ち替えてまで祖国の戦線に飛び込んだ決意を思うと、このまま日本に引き下がるのは無責任だと感じたのだ。

 在日義勇軍の実戦での活躍

この時から、在日義勇軍は米国ではなく韓国軍の一員となる。仁川・富平の米軍部隊を出た義勇軍は、ソウル・南大門の陸軍第1補充大隊(当時の南山初等学校跡地)に編入した。1950年11月28日、時刻はちょうど陽の入り頃だった。
では、在日義勇軍は、実戦でどのような活躍ぶりを発揮したのだろうか。義勇軍は最前方の戦闘部隊に配属され、命をかけた作戦に参戦した。参戦した主な戦闘は、仁川上陸作戦と9・28ソウル修復作戦、元山上陸作戦、1・4後退による興南撤収作戦、6・25動乱最大の激戦区となった中部戦線の白馬高地と金日成高地、金華地区戦闘などだ。
韓国軍に加わった在日義勇軍の活躍にはめざましいものがあった。代表的な人物は、陸軍総合学校出身の李活男、尹龍根、金聖郁らだ。51年3月10日、陸軍少尉として任官された李活男は、陸軍第3師団第1中隊に配属された。対戦車攻撃部隊だった第1中隊で李少尉は、江原道八旺山戦闘、縣里戦闘で北韓軍を壊滅させたほか、多数の戦闘で戦功を挙げた。李少尉の活躍ぶりは韓国軍の記録にも記されている。彼のリーダーシップは、陸軍本部が94年11月に発刊した「学徒義勇軍」でも確認することができる。
「時折北韓軍が避難民に扮して我軍の陣地に現れることがあった。皆が戸惑う中、小隊長だった李活男少尉が避難民らに接近した。若干の沈黙が流れた後、避難民の中から1人の老人が李少尉に近づいてきた。老人は、5里(約2キロ)ほど後方から200~300名の北韓軍がこちら(我軍側)に向かってきていると語った。李少尉は老人に心から感謝の意を伝え、待ち伏せしていた陣地に戻った」
避難民の老人の言葉通り、李少尉の到着から少し後に敵軍数百名が現れ、直前に李少尉がキャッチした情報で敵を壊滅させることができた。李活男の他にも、陸軍第3師団22連隊第3大隊に配属された尹龍根少尉、陸軍第3師団18連隊第1大隊に配属された金聖郁少尉らが、倉村里戦闘、加里峰戦闘、老人峰戦闘などで熾烈な戦闘に臨んだ。柳升鎬少尉と趙滿鐵少尉はそれぞれ第9師団30連隊第1大隊、第1師団第9連隊に所属し、北韓―中共連合軍との一戦で勝利した。柳少尉の場合、洪川・鷹峰山「高地戦、1103高地」で第一線の兵士らを指揮したという記録が残っている。第3小隊長(柳升鎬)が小銃の援護射撃を受け、敵陣へと突進すると、全小隊員が手榴弾を投擲し、敵と白兵戦を展開した。在日義勇軍のうち、韓国軍将校の指揮官となったのは30数名。しかし、ほとんどの在日義勇軍は下士官や私兵として祖国の守護に尽力した。

韓米同盟の元祖、最初の海外国民による参戦

軍番もなく、「日本から来た(FROM JAPAN)」という唯一の肩章を米軍から授けられた義勇軍たち。在日同胞学徒義勇軍の6・25参戦はこうしてスタートした。在日義勇軍の参戦は、歴史に2種類の大きな轍を残したといえる。
一つめは、6・25在日義勇軍の参戦は、世界史上初となる「海外国民の参戦」という事実だ。米国メディアもこれを紹介した。1952年9月29日、米国CBSのジョージ・ハーマン東京支局長は「韓国戦争に出現した幽霊部隊」というタイトルで次のように紹介した。
「幽霊部隊が韓国戦争に現れ、国際連合(UN)軍と共に戦っている。特派員の取材によると、彼らの正体は日本から来たコリアンだ」
ある者は1967年6月5日に勃発した第3次中東戦争当時、在米ユダヤ人学生らの帰国参戦を「愛国心の象徴」とし、それを「海外国民による初の参戦」と讃えている。しかし、それは明らかな誤りだ。韓国の海外国民参戦、在日同胞の6・25参戦は、ユダヤ人学生の参戦より17年も前だったのだ。
二つめ、在日学徒義勇軍は韓米同盟の元祖だ。彼らは仁川上陸作戦、元山上陸作戦、興南撤収作戦など、数々の戦場で米軍と互いに命を懸けた戦友だった。彼らは現在の韓米連合軍韓国志願兵であるKATUSAの元祖といえる。これは米国も認めるところだ。毎年9月に仁川で開催している在日同胞学徒義勇軍参戦記念式に、駐韓米軍の高位幹部と兵士らが参席しているのはそれが理由だ。
在日義勇軍の献身と母国愛の精神は、今日の大韓民国では失われてしまったようだ。ソウル・銅雀洞の国立顕忠院第16墓域。祖国を守るため、たった一つの命を懸けた在日同胞135名(52名戦死、83名が失踪)。在日同胞護国戦士らの魂が眠るこの地の景色が、一層侘しさを増しているように感じてならない。

2020-08-15 13面
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