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最終更新日: 2020-09-30 00:00:00
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2020年07月01日 00:00
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朝鮮女優史考 第2回

李瑛恩

 日本で初めて女優という言葉が登場したのはいつだろうか。小学館の『日本国語辞典』によると、1890年に発表された森鴎外の小説『舞姫』だという。ただ、ここでの女優は劇場の踊り子を指していた。すると、現在と同じ意味で女優という言葉を使い始めたのは、いつか。どうやら新派劇の創始者・川上音二郎とともにアメリカへ行った川上貞奴が、99年に女形の代役として舞台に立って以来らしい。西欧でジャポニズムのブームを起こした貞奴には、それ以後、女優第1号という称号が与えられる。とすれば、女優という言葉が本格的に定着し始めたのは、1911年に近代国家の推進役として創設された帝国劇場で公演した専属女優たちの頃からであると思われる。近代の象徴として人気を博した彼女たちのおかげで、日本では「女優」が流行語となった。
草創期の日本女優史において、もう一つ忘れてはならないのが、松井須磨子の登場だ。日本で女優は、簡単に受け入れられる存在ではなかった。1629年、風紀紊乱を理由に女歌舞伎が禁止されて以後、女性は公式には舞台に立つことができなかった。その期間はあまりにも長かった。芝居では、女優の役は女性の芸を練磨した女形が演じれば良いとされていた。しかし、須磨子の登場によって、これまでの女優に対する偏見は払拭された。当時、その自然さが評判だった須磨子の演技を見て、ある女形はこう語った。「このような女優がいるなら自分が女形をやる必要はない」。
ここで注目すべきは、明治維新後、演劇改良運動を始めた外山正一が初めて女優の登用を勧めた理由である。外山は著書『演劇改良論私考』(1886年)の中で女性役を演じるにあたり、女性の「情」を強調しているのだ。外山の指摘は身体のリアリティー問題を超え、女性の真実の表現を重要視することを意味していた。これは、現在の女優にも当てはまる使命というべきものであろう。当時、伝統劇に求められた様式的な芸から離れ、女性の繊細な感情を活かした近代劇があったからこそ実現されたのであり、そこに新劇の拠点「文芸協会」の存在があり、新劇女優の松井須磨子がいたのである。
須磨子が演じた『人形の家』のノラにおける迫真の演技は、日本女性の共感を呼び、日本で女性解放運動が広まる契機ともなった。また、『復活』のカチューシャは、自由恋愛を世間に広げ、カチューシャ旋風を巻き起こした。この頃、社会の隅々まで浸透してきた、伝統と対立する「近代」の動きに促されるように、女優も新しい職業を持つ女性として社会の中に紛れ込んだ。
須磨子の影響力は社会の中で無視できないものになっていったが、「文芸協会」の時から一緒だった演出家・島村抱月と須磨子の恋愛関係は、非難すべきものとされた。抱月が病死すると、須磨子は1919年に後追い自殺して時代の幕を引いたが、朝鮮では須磨子の影響下に、「カチューシャの時代」が幕を開けるのである。

李瑛恩 韓国の女優(イ・アイ)。日本大学芸術学部で、学士、修士、博士の学位を取得。主演作として『大韓民国1%』『ダイナマイト・ファミリー』などがある。

2020-07-01 6面
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