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最終更新日: 2020-01-16 00:00:00
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2019年11月07日 00:00
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【コラム】鼻塚と慰安婦像

 韓日関係者らによって、京都耳塚の供養が毎年営まれている。その耳塚の実際は鼻塚と称されたもので、豊臣秀吉は慶長の役の時、「人はそれぞれ両耳があるが、鼻は一つである」と言って諸将に命じ、すべての人の鼻をそがせて首に代え、倭京(伏見)に送りとどけさせたというのだ。それが積もり積もって、一つの丘陵ほどになり、それを大仏寺(方広寺)の前に埋めたところ、愛宕山の中腹の高さぐらいになり、姜沆は、「血肉の惨禍は、これを挙げて知ることができよう」と悲嘆したという。
慶長の役とは、文禄・慶長の役と称される豊臣秀吉の朝鮮侵略における再度の侵攻のことで、韓国では壬辰倭乱・丁酉再乱と称されている最大の国恥、すなわち国が受けた辱めと認識されている。この鼻塚をめぐって、朝鮮通信使を迎接した雨森芳洲の気苦労譚がある。第9回朝鮮通信使の使行録『海游録』に収載されている。
対馬太守が「前回の使行のときから、必ず帰路に大仏寺に立ち寄る。関白(将軍)は、あらかじめ藩臣に酒饌を治めて享礼に備えさせている。明朝、臨席されよ」と告げてきたので、通信使は、「太守が関白の命をもって我を盛儀に招くとは、何事の辞ぞ。ついでながら、余が国に在るとき、大仏寺は秀吉の願堂であるとの評判を聞いている。この賊はすなわち吾が邦の百年の讐である。義は天を共にせざるものである。況んやその地において飲食しえようか。謹んで厚意をお断りいたす」と答えた。
雨森芳洲らが、面会を請い、「願堂の説は日本人の聞かざるところ」と弁明するので、信使は「何も聞きたくない」と叱って拒否した。「使臣(信使)の意がかくの如くんば、吾は国君の命を奉じて罪を逃るるところなし。請う、寺門の外に別に帷幕を設け、もって従者をいたらしめては如何」と代案を示してきたので、「そうであれば、寺門から少し遠い処のアバラ屋でこと足りるではないか。どうして大々的に幕を設ける必要があるのか」とし、これでいったん解決したのだが、京都所司代が、それは不当だと異議を申し立て、事態は紛糾した。信使は「寺門に入らないのは、義は讐を忘れないからだ。関白もこれを聞いたら納得するはずだ」と答えた。
以下のやりとりは省略するが、要するに、鼻塚は、豊臣秀吉の手柄を自慢しているようなものであり、朝鮮にとってはとても容認できない国恥であるから、参拝することはできないし、強要するなら死も覚悟しているというものだ。雨森芳洲らの接待者は、いやそうではないという説得がえんえんと続くのだ。
とまれ、この故事に関連して、「あいちトリエンナーレ表現の不自由展」の慰安婦像を思い出してしまった。日本軍人らのなぐさめものとなった慰安婦の問題も、鼻塚同様、韓国の国恥といってもいいだろう。鼻塚は雨森芳洲らによって隠されようとしたが、同じように慰安婦像が展示されているという理由で、脅迫や補助金を出さないという姿勢も、慰安婦像を隠そうという姿勢に通じるものだ。
そうした解決策は相互理解、つまり、加害者は被害者の気持ちを理解し、被害者も加害者の立場を理解するという歩み寄りが必要だということだろう。そうした姿勢が欠如するから、韓日関係がこじれてしまうのだ。
(韓登)

2019-11-07 4面
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