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2019年11月07日 00:00
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【インタビュー】「ワッソ支援の会」崔忠垣会長
「次世代へしっかりバトンタッチしていきたい」

 今日、ワッソが存続しているのは、在日韓国人有志らの団結力によるものだ。2000年12月、メインスポンサーだった「関西興銀」の破綻により、「ワッソ」は休止の危機に瀕していた。苦境に置かれた「ワッソ」を復活させた立役者として自他共に認める人物こそ崔忠垣会長(79歳)だ。03年、「ワッソ支援の会」結成をリードした崔会長は「ワッソを在日同胞のプライドとして永続させるべく努力し続ける。1世から始まり、私を含む2世を経て、今後は3世、4世が受け継いでいくだろう」と力強く語った。
(大阪=李民晧)

◇李熙健会長との縁について。
「李会長は、私の『在日同胞』というアイデンティティを覚醒させた方だ。17歳で渡日した父とは友人だった。李会長との本格的な関わりは、興銀の大阪東成区支店オープン10周年記念の預金募集推進委員に就いてからだ」

◇記憶に残るエピソードは。
「80~90年代の同胞社会は熱気に満ちていた。本国に関連するイベントも多かった。王仁博士リレー、88オリンピック募金運動を経て、その完成形がワッソだったと思う。ワッソは先祖の渡来人らの行程をパレードで再現し、同胞たちはその体験を通して自分たちのルーツとアイデンティティを取り戻した。李会長は、韓国人が日本人と対等な関係になることを願った。その気持ちを、ワッソを通して具現化させることを望んでいた」

◇日本で暮らしながらも母国への関心が高い理由は。
「韓日を往来し始めたのは朴正煕政権時、1ドル360円だった頃だ。当時は韓国貨幣の中で最も大きい額が500ウォンだった。最も印象的だったのは85年、王仁博士リレーの頃だ。百済人の衣装を着て田舎の道を1日に数十キロずつ歩き、リアルな韓国を体験した。行き来するうちに、母国への関心は高まるものだ」

◇03年8月、ワッソの復活と支援に乗り出した理由は。
「『在日同胞の財産は在日自ら守る』という思いがあった。ワッソを必ず残し、後世へと受け継ぎたかった。興銀破綻時のワッソメンバーは4人しかいなかった。毎月1回、興銀OBたちと食事をしていく中で、ワッソ復活運動の気運が高まっていった。興銀OBら50人ほどが集まり、03年の『ワッソ支援の会』結成へと繋がった」

◇ワッソ復活を遂げた原動力とは。
「支援の会が結成された時、最も喜んだのが李熙健会長だった。李会長は、私のような若い在日同胞たちをリードするという自負心があったと思う。(興銀副会長である)李勝載氏もまた、フラットな立場でワッソメンバーたちと苦楽を共にした。以心伝心とでも言おうか、世代を超えた同胞たちのコンセンサスがあった。皆、自らが力になるべく頑張った」

◇韓日関係が冷え込んでいる今、ワッソが持つ意味とは。
「興銀OBたちは、ワッソをこれからも続けていきたいと思っている。ワッソのスタート当時、在日同胞と母国は『Win―Win』の関係だった。しかし最近は、母国との連結や連帯感が弱まったようで残念だ。韓国人を主体とする活動に比べると活力も弱まっている。同胞たちの祝祭として、韓日を繋ぐ民間交流の場として、どうにか多くの人々を結束させ守っていきたい。在日同胞の次世代にも、その伝統を受け継いでいくべきだ」

2019-11-07 4面
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