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2019年10月02日 00:00
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【歴史】~日本の中の韓半島を訪ねて~静岡・清見寺で出会う詩稿

 天武天皇朝時代の7世紀後半、東北の蝦夷に備えて清見関という関所がこの地(静岡県清水市興津地区)に設けられた。その傍らに関所の鎮護として建立された仏堂が清見寺の始まりとされる。もともとは天台宗の寺だとも言われている。
時は流れて鎌倉時代になり、駿河国へやって来た関聖上人によって禅寺として再興される。その後、征夷大将軍・足利尊氏や戦国大名・今川義元の支援を受けるようになった。やがて、今川家の人質となっていた徳川家康が、教育を受けるためにこの寺へとやってくるのである。
後に江戸幕府を開いた家康は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻により途絶えていた朝鮮との国交を回復したいと考えていた。朝鮮側の日本訪問を実現させるべく力を尽くす。そしてついに1607年、第1回目の朝鮮通信使がやってくる運びとなった。
しかし、朝鮮からしてみれば何といってもあの秀吉の国だ。もはや帰国は叶わぬかもしれないと覚悟の上だったに違いない。それを察したか家康は、帰路につく通信使を清見寺に宿泊させ、自らの船で清見潟遊覧に招待する。家康は一行を船に乗せ、何を見せたかったのか。外交に長けていた家康のことだから、海へ出なければ見ることのできない富士山の構図―それは雪舟の水墨画の構図―を見せようとしたに違いないと推測されている。通信使は、この心遣いに感謝し詩を詠んだ。通信(まことをかよわせる)の第1歩となった詩は、板に彫られて400年近く、今も清見寺に掲げられている。

写真= 正使・呂祐吉、福使・慶暹、従事官・丁好寛の3使が読んだ七言絶句の詩。正使の詩には「東海中にあるという神仙の山、蓬菜島(三保の松原)かと思わせる長い島が望まれるが、日が落ちて茫々としている。海上の雲は消え去り、白鴎が舞っているのみである…」と、船からの景色が読まれている。

2019-10-02 6面
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