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最終更新日: 2020-02-19 00:00:00
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2019年08月15日 00:00
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【在日同胞の足跡をたどる】在日同胞による母国貢献の歴史(下)
在日が創出した「最初・最大」

【NO.4】韓国初―民間資本1号 「新韓銀行」設立

〈FACT〉「新韓銀行」は、在日同胞が設立した初の純民間銀行だ。在日同胞の創立者341人は1982年7月7日、新韓銀行の理念に「金融報国」を掲げ、創立資本金100%を出資した。
1960~70年代、在日同胞らの母国進出は活発だった。最も盛んだった70年代後半には、母国投資企業の連合体である「在日韓国人本国投資協会」(74年2月5日結成、以下投資協会)の会員企業だけでも400社を超えた。78年、財務部が「在日同胞母国投資額が10億ドルを突破し、外国人投資額の9万3700万ドルを超えた」との報告書を作成したほどだった。投資協会は、金融関係における同胞企業の不自由さを解消すべく、韓国で金融会社の設立を進めた。その結果、77年7月に政府から第一投資金融に対する認可を得ることに成功した。
「新韓銀行」創立日の様子(1982年7月7日、ソウル・明洞。出典―新韓銀行)
 一方で、在日同胞母国投資家たちは短資会社の限界を感じ、都市銀行創業のために奔走した。その結果、創業されたのが韓国初の純民間銀行である新韓銀行だった。新韓銀行は82年7月7日、在日同胞らが創立資本金250億ウォンを募金で賄い開業した。
341人の在日同胞らが創業者として参与し、「金融で国に報いよう(金融報国)」という純粋な愛国心と「韓国金融に新たな歴史を刻む」(新韓)との思いを込めた。こうした創業精神で在日同胞が韓国に建てた銀行こそが、新韓銀行だ。個々人が力を合わせ、少額株主らが共同体を成して銀行を設立したことも初めての事例となった。
当初は支店数わずか3店舗というミニマムな銀行だった。しかし、日本の先進的な金融システムを導入した新韓銀行は順調にキャパシティーを拡大していった。IMF(国際通貨基金)危機の際も唯一、黒字を計上した銀行だった。
新韓銀行は、韓国がIMFに緊急救済措置を要請した97年にも533億ウォンの黒字を計上し、98年には590億ウォンの当期純利益を達成した。同年に韓国の都市銀行が出した赤字はおよそ12兆5000億ウォン規模に達していた。他行が次々と倒産し、リストラの波が押し寄せる中、新韓銀行の黒字達成は誰もが驚く出来事だった。IMF危機を乗り越えた新韓銀行は「安心して信じられる銀行」として顧客の信頼を勝ち取った。
新韓銀行はその後、日本に現地法人を置くほどに成長した。2009年9月に開業したSBJ銀行(Shinhan Bank Japan)だ。在日同胞らが創業した銀行が、日本に現地法人を設立するという事実は同胞たちを沸かせた。それはまるで、嫁いだ娘が子どもを産み、その子どもを本家に帰したようなものだった。
その後も新韓銀行は神話と囁かれるほどの高度成長を遂げ、遂にはKB金融グループと並ぶ韓国金融の2大柱とされるほどのマンモス金融グループへと成長した。03年9月には、世界経済の中心であるニューヨーク株式市場に上場し、世界的銀行へと発展する足掛かりを掴んだ。さらに新韓銀行は現在、「2020年アジアリーディングバンク」を中期目標に設定し、グローバル市場に攻勢をかけている。

【NO.5】韓国初―済州みかん 観光地・済州の先駆者

〈FACT〉在日同胞は、全国に先駆けて済州道民を貧困から救った。在日同胞は、今日の済州みかんブランドと韓国きっての観光地・済州をリードする灯となった。
「セマウル運動」は、1970年代を代表する国策事業だった。済州道ではそれより10年前、既に在日同胞による自発的なセマウル運動が展開されていた。済州出身の在日同胞たちは郷友会や親睦会などを通し、組織的に故郷の村に電気と水道を引き、みかんの苗を植えて生活苦から脱するための道筋を作った。
在日同胞が寄贈したみかんの苗木の荷役作業(1968年、済州港。出典・統一日報)
 60年代の済州道民は、外部と断絶された状態だった。そんな孤立した島・済州道の開発に乗り出したのが、まさに在日同胞だった。63年10月、済州初となる「済州観光ホテル(現ハニークラウン観光ホテル)」を建てたのは、東京の金坪珍氏だった。彼はその後「西帰浦観光ホテル」を建て、李承晩大統領の別荘だった「ハネムーンハウス(現パラダイスホテル)」を買収するなど、済州観光の礎を築いた。
済州出身同胞のうち、個人でセマウル運動に心血を注いだ人物に大阪・日本有機化学工業代表の安在祜氏が挙げられる。彼は故郷の表善面に面事務所(68年)と村会館(70年)を建て、電話の開設(73年)、道路の舗装(74年)、表善中学校移転(75年)を請け負った。本来であれば国家が整備すべき社会基盤施設の建設を、個人が請け負ったのだ。
在日同胞らはさらに、済州道にみかん栽培を取り入れ、慢性的な貧困からの脱出をリードする牽引車的な役割を果たした。これは統計上でも立証されている。
67年、済州道のみかん生産高は3400トン、純利益5億4000万ウォン、1人当たりの年間所得は2万8684ウォン(66年基準)で、全国3位へと急上昇した。万年最下位だった済州道民の所得が、こうして急上昇を遂げたのはみかんの普及時期と比例する。在日同胞たちが62年から70年までの9年間で寄贈したみかんの苗は315万本に達した。在日同胞たちは「蜜柑(みかん)済州をつくろう」とのスローガンを掲げ、みかんの普及に心血を注いだ。済州道でみかんの木を3本所有すれば生活には困らないとされ、子どもを内陸の学校に通わせることができる「大学の木」と呼ばれるほど高収益の作物だった。
済州道を全国で最も早く貧困から救った在日同胞たち。済州道を韓国の名所として世界的な観光地へと創り上げた在日同胞たち。天然の国産ビタミン、「済州みかん」ブランドを誕生させた先駆者こそがまさに在日同胞だった。

【NO.6】韓国最大―541億ウォン後援 88オリンピック

〈FACT〉88ソウルオリンピックの各スタジアムは、在日同胞の寄付金100億円、当時のレートで541億ウォンで建設された。在日同胞による88オリンピック基金は建国以来、単一基金の額としては史上最高額となった。
1988年のソウルオリンピックは、在日同胞たちにとってこの上ない誇りだった。貧困にあえいでいた母国で、世界最大のスポーツの祭典、オリンピックが開催されるという事実は感動以外の何物でもなかった。
在日同胞の88ソウルオリンピック後援記念碑の除幕式(1988年9月17日、出典・統一日報)
 母国に対し、事あるごとに手を差し伸べてきた在日同胞たちは、やはり今回も動いた。再び募金を始めたのだ。現在、ソウル市松坡区に位置するオリンピック公園内のオリンピック用施設の数々は、在日同胞らの募金によって建てられたものだ。在日同胞の募金で建てられた競技施設は6施設に及ぶ。韓流スターのコンサート会場としても使用される「オリンピック体操競技場」、開場当時にアジア最大級かつ最新設備を誇った「オリンピック水泳競技場」「オリンピックテニス競技場」、そして現在大韓体育会が本部として使用している「88オリンピック会館」だ。また、京畿道河南の「渼沙里漕艇競技場」と、ソウルの「奨忠体育館」も在日同胞一人ひとりが誠心誠意託した募金で建てられた競技場だ。
在日同胞たちは、経済的余裕はなくても募金で母国愛を示そうとしていた。そうして集まった金額は100億円(当時のレートで541億ウォン)に達した。この100億円は、現在集めようとしてもほぼ不可能に等しい。80年代のソウルでは20坪の新築戸建てが2000万ウォンだった。つまり、在日同胞のオリンピック募金は2700棟の家を購入できるほどの巨費だった。
「88ソウルオリンピック在日韓国人後援会」を中心するオリンピック募金キャンペーンに応じた在日同胞たちの数は10万人を超えた。在日本大韓民国婦人会は「1人10円募金」キャンペーンで集めた募金を利用し、外国人の観光客のために全国の景勝地のトイレを最新のものに改装した。
当時、日本を除くすべての海外地域で集めた募金総額は6億ウォンだったことを鑑みても、在日同胞社会のオリンピックに対する情熱がどれほどのものだったかをうかがい知ることができる。在日同胞募金で建設した88ソウルオリンピック競技場は、平昌冬季オリンピックが開かれた30年後の現在も健在だ。しかし、多くの韓国人は在日同胞がオリンピックに貢献した事実を知らずにいる。

【NO.7】韓国最大―IMF危機時 最大の外貨送金

〈FACT〉1997年末のIMF通貨危機では、外貨不足で破綻の危機に瀕していた母国を救済すべく在日同胞らが15億ドルを送金。日本で発行した国債300億円の中で相当な額を購入した。これは当時、韓国で巻き起こった運動「金(GOLD)募集キャンペーン」で集まった20億ドルを上回る金額だった。
「国際通貨基金に流動性調節資金を支援してもらうよう要請することを決定した」(1997年12月3日、林昌烈経済部総理の大国民発表)
在日同胞たちの円貨送金運動を決議したという報道(1997年12月6日。出典・統一日報)
韓国がIMFから緊急救済措置を受け、6・25以後最大の国難ともいわれた当時、韓国の外貨保有高は39億ドルに過ぎなかった。
国民による「金(GOLD)募集運動」で危機の克服を目指していた当時、在日同胞たちによる自発的な募金が始まった。韓国国内では、金(GOLD)募集キャンペーンで20億ドルを積み上げた。これに負けず、日本でも愛国に基づく運動が展開された。
IMF体制に突入した年、民団の主導で同胞らが日本から送金した額は139億円(当時のレートで1800億ウォン)に達した。その後も円貨送金運動は継続され、政府の救済金融要請から99年1月までに在日同胞が韓国に送金した円は780億6300万円にのぼった。韓国ウォンで1兆ウォンにも達する莫大な資金だった。
さらに在日同胞たちは98年3月、韓国政府が日本で国債300億円を発行した時も積極的に購入する動きがみられた。
送金運動は当時、ほぼ全ての在日韓国系同胞たちが円の送金運動に参加したと言われるほどの熱気を帯びていた。送金運動に参加した同胞たちは、預託件数4万8000人に達した。参加銀行は新韓銀行と外換銀行、国民銀行など、韓国系銀行の18支店だった。
在日同胞らはこのように、祖国の危機に対して真っ先に手を差し伸べるのが常だった。在日同胞たちは、タンスにしまっておいたゴールドの指輪を円に換え、その金をそのまま銀行へ持参することもあった。そうしたシンプルな方法と純粋な気持ちで外貨送金運動に参加した。
在日韓国人の代表団体である民団は「1家庭あたり10万円を送金しようキャンペーン」を情熱的に展開した。
これに対し在日同胞たちは「すぐ隣で腹を空かせて泣いている祖国の兄弟姉妹たちを見過ごすわけにはいかなかった」(裵哲恩元民団新聞編集長)と振り返る。
IMF危機当時、民団をはじめとする在日同胞の行動で評価すべき点は、最大の国難とされた絶体絶命の状況に置かれていた祖国と共に危機に立ち向かおうとした点だ。当時の外国人投資家らは、韓国の外貨保有高が底をついたとみて対韓投資を断念し、資金の回収を始めた。その正反対の動きを見せたのが在日同胞社会だった。在日同胞たちは1円でも多く外貨を送り、危機に瀕した母国を助けるために全力を注いだのだ。

関連記事=(上)http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=86355&thread=04

関連=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=86377&thread=04

2019-08-15 17面
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