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最終更新日: 2020-02-19 00:00:00
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2019年08月15日 00:00
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【在日同胞の足跡をたどる】在日同胞による母国貢献の歴史(上)
韓国現代史に刻む特筆すべき7選

 在日同胞は1948年8月15日の大韓民国建国以来、様々な分野で多大な貢献をしてきた。在日同胞による母国貢献の足跡は、現代史に残すべき歴史といえる。一方で小学校から高校まで、韓国の教科書には在日同胞の貢献が1行も記述されていない。70年以上もの歳月、母国に対して在日同胞が行った貢献の中には世界初、または韓国初、韓国最大のものがある。在日同胞が韓国現代史に刻んだ記録の中から特筆すべき7選を紹介する。(ソウル=李民晧)

【韓国の教科書に記述すべき真実】

【NO.1】世界初―6.25動乱 在日同胞学徒義勇軍

〈FACT〉在日同胞の学生642人は、祖国を救出すべくペンを銃に持ち替え、6・25韓国戦争に参戦した。これは、世界史上初の海外国民による参戦だ。在日同胞学徒義勇軍は米軍に配属され、激烈な戦闘を繰り広げた。今日の韓米連合軍の韓国軍要員である「KATUSA(カトゥーサ)」の元祖は、6・25に参戦した在日学徒義勇軍だった。

6・25動乱に参戦する在日同胞学徒義勇軍の出征式(1950年9月、民団神奈川本部。出典:統一日報)


韓国戦争は1950年6月25日、北韓の南侵によって勃発した。民団は同年8月、義勇軍の募集を開始した。選抜された在日同胞義勇軍は、日本の大学に在学中だった留学生らを筆頭とする全642人だった。
同年9月13日、第1陣の69人が横浜港を出征した。続いて第2陣137人、第3陣151人が相次いで合流した。1陣で出征した在日同胞学徒義勇軍の初の戦闘は、世界の戦争史上最もドラマティックな反撃作戦だった。それが「仁川上陸作戦」だ。この作戦により韓半島南部、慶尚道の洛東江河口まで迫った我が軍は反撃のチャンスを掴むことができた。
在日同胞義勇軍は最前線の戦闘部隊に配属され、命を懸けて北進作戦に加わった。彼らが参戦した戦闘は仁川上陸作戦と9・28ソウル奪還作戦、元山上陸作戦、「1・4後退」で知られる興南撤収作戦、6・25最大の激戦地だった中部前線の白馬高地と金日成高地、金華地区戦闘などだった。52人が戦場で命を落とし、83人が行方不明となった。義勇軍として参戦した642人のうち、犠牲者は135人に達した。
現在、在日同胞学徒義勇軍の戦死者はソウル市銅雀洞の国立顕忠院第16墓区に安置され、国を守るために命を落とした殉国烈士たちと共に眠っている。在日学徒義勇軍は、北韓共産軍が南進したとのニュースを日本で聞きつけ、ペンを捨てて銃を持ち、祖国の戦線に駆け付けた。身をていしてでも祖国を守ろうという一心だった。
歴史的に注目すべき事実は、6・25における在日学徒義勇軍らの参戦は、世界史上初の「海外国民参戦」だったという点だ。これは米国メディアでも報じられた。1952年9月29日、米国CBSのジョージ・ハーマン東京支局長は「韓国戦争に現れた幽霊部隊」とのタイトルで次のように打電した。
「幽霊部隊が韓国戦争に現れ、国際連合(UN)軍と共に戦っている。特派員らの取材によると、彼らの正体は日本から渡ってきたコリアンたちだ」
67年6月5日に勃発した第3次中東戦争では、海外イスラエル人たちの参戦を「最初の海外国民参戦」とする声もあったが、これは明らかな誤りだ。韓国ではそれより17年も前に海外国民参戦が行われたからだ。

【NO.2】世界初―駐日韓国大使館 9カ所を寄贈・設立

FACT〉日本国内の韓国領事館10カ所のうち9カ所は、在日同胞が寄贈・設立したものだ。在日同胞が母国政府に寄贈した駐日公館の時価は2兆ウォンを上回る。

徐甲虎氏の寄贈をはじめ、日本の大韓民国公館10カ所のうち9カ所は在日同胞によって建てられた。(李民晧)


日本国内の韓国領土である駐日韓国総領事館10カ所のうち、9カ所は在日同胞による自主的な募金、または同胞個人の財産寄贈によって設立された。在日同胞の公館建設運動は1962年8月15日、在日1世の徐甲虎氏が東京都港区麻布の私邸を駐日韓国大使館として政府に寄贈した頃から本格化した。
1960~70年代にかけ、在日同胞たちは大阪と横浜、名古屋、神戸、福岡、札幌、仙台、下関など、民団を主軸に日本全域で公館建設のための募金運動を展開。また、個人の公館寄贈も活発に行われた。
海外在住国民がこうした多数の公館を募金運動と寄贈によって建てたのは、世界史的にも類を見ない。よって公館寄贈という事実だけでも、在日同胞の母国貢献を語るに足るだろう。
在日同胞たちが母国・大韓民国政府に寄贈した9カ所の駐日韓国公館の時価は、現在のレートで換算すると2兆ウォンを上回る莫大な資産価値がある。

【No.3】韓国初―輸出基地 九老工団を竣工

〈FACT〉韓国初の輸出工業団地「九老工団(現・加山デジタル団地)」をリードし、設立したのは在日同胞だった。在日同胞の実業家たちは、1960~70年代の「漢江の奇跡」といわれる近代化事業で、日本で血と汗を流して集めた資本、技術、ノウハウを無条件で母国に提供した。

航空機から撮影した九老工団全景(1970年代初頭。出典・国家記録院)


67年4月1日に竣工した韓国初の輸出産業工業団地が「九老工団」(現・加山デジタル団地)だ。最初の入居企業28社のうち、18社が在日同胞の投資企業だった。九老工団は当初、在日同胞専用の工業団地として造成することを趣旨としてスタートした。在日同胞1世でコーロン(KOLON)グループの創業者・李源万氏の提案で始まった工業団地だ。
竣工時の九老工団入居企業は、在日同胞の投資企業が18社で最も多く、国内企業9社、米国企業1社と続いた。当時の朴正煕大統領は竣工式で、在日同胞の労苦を激励し、韓国の工業発展に対する期待感を示した。
「在日同胞らは様々な悪条件を呑み、祖国の産業建設に寄与するべく工場を建てた。政府は在日同胞たちの新たな工業技術導入に関心を持っている」(韓国日報67年4月7日付)。
九老工団に入居した在日同胞企業各社は、当時の韓国には存在していなかった先端製品を作る製造業を主としていた。電気、電子、化学、肥料、繊維、金属など、雇用誘発効果が大きい業種だった。別表は66年7月30日に入居していた同胞企業14社の内訳だ。
九老工団は60~70年代の韓国において、飛躍的な経済発展を示す象徴的な存在だった。輸出額は開業初年度の67年に500万ドルを達成。その後、68年には700ドル、69年には1300万ドル、70年に2100万ドル、71年には2500万ドルへと飛躍的に拡大していった。
九老工団全盛期には、韓国の輸出総額の15%を占め、「韓国輸出の先進基地」とも称された。奇跡的な韓国経済の成長神話を指す「漢江の奇跡」の主役が在日同胞であったことを、九老工団の実績が証明している。その後、重工業が発展し、産業分野も多様化したことで九老工団も変化を模索するようになる。
2000年代中盤には「九老デジタル産業団地」へと変貌していった。在日同胞らは九老工団創団の主役として参与して以来、慶尚北道の九尾工業団地と慶尚南道の馬山輸出自由区域、京畿道安山の半月工団などにも続々進出し、国家経済はもちろん地方経済の発展にも大きく貢献した。
このように在日同胞の母国投資は活発だったが、政府が記録に残した投資は極めて少ない。1965年から70年までに財務部が集計した在日同胞の母国投資記録は42件で、投資額は2600万9000ドルにすぎなかった。これは、最初の投資額だけが記録されているものだ。追加投資額の累積が反映されておらず、不確かなデータといえるだろう。
つまり政府内に残されている記録は、最初の投資額のみということだ。在日同胞母国投資の窓口「在日韓国人本国投資協会」によると、財務部が集計した6年間(65~70年)で、母国に投資した在日同胞企業は200社を超えている。
(下)へ続く=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=86356&thread=04

関連=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=86377&thread=04

2019-08-15 16面
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