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最終更新日: 2020-02-27 00:00:00
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2019年08月15日 00:00
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日本人ハルモニたちの安息の地「慶州ナザレ園」
過去を乗り越え、韓日を結ぶ橋に~民団との絆も深く さまざまな交流も

 
ナザレ園全景(撮影=李民晧)

 慶州・ナザレ園には、韓国人男性と結ばれ、韓国に嫁いだ日本人妻たちが暮らす。ナザレ園は「芙蓉会の高齢女性」を支援する施設だ。芙蓉会は、韓国の男性と結婚した後に1人になった日本人妻たちの集まりで、多い時は4000人に達した。その多くが高齢化し他界するなか、ナザレ園には現在も日本人女性(以下ハルモニ)9人が穏やかに余生を送っている。朴相圭・在日韓国人本国会会長と共にナザレ園を訪ね、宋美虎園長に話を聞いた。(慶州=李民晧)

――ナザレ園が建てられたのは1972年ですね。
「はじめは『帰国者寮ナザレ園』として日本人妻たちの帰国を支援するための臨時収容施設でした。解放直後、多くの方は日本に帰国しましたが、なかには韓国に残る方もいました。その方々が日本に帰る前に滞在していた場所でした」

――ナザレ園設立のきっかけは。
「ナザレ園を建てた金龍成理事長が、65年の韓日国交正常化直後、東京・皇居前の二重橋でハルモニたちによるデモを目撃したそうです。『陛下、助けてください』―。こう叫ぶハルモニたちに事情を尋ねると、両国のどちらにも戸籍がないため、日本に帰国できない人が大勢いるというのです。そのため、そうした事情を抱えた方々のための施設を建てました」

ナザレ園の日本人ハルモニたち(撮影=李民晧)
――日本人なのに日本に帰ることができなかったのですか。
「日本国籍を持たない無国籍者が大半でした。戸籍を取り戻すための裁判を起こしたこともありました。この施設で短くて6カ月、長いと1年から2年は滞在していました」

――今まで何人の方が日本に帰りましたか?
「146人です。最も大きな壁となったのはハルモニたちの日本の家族でした。『そんな人は知らない』『死んだ』などの反応が大半だったので、日本に帰国しても養老院に入るしかありませんでした」

――帰国後の生活については、どのような話を聞いていますか。
「あれほど帰国を望んでいたのに、韓国でキムチやテンジャン(味噌)チゲを食べていたせいか、日本の食が合わずに苦労したという方が多くいらっしゃいました。韓国のように気軽に家々を訪ねることもできず、日本の文化にうまく適応できないという方が相当いらっしゃいました。数十年という時間を韓国で暮らしていたため、梅干しよりキムチを好むようになったのですね」

――147号ハルモニという方がいらっしゃるとか。
「歌も上手で、作詞作曲もこなすという多趣味な広島出身のハルモニでした。しかし、韓国の戸籍に死亡届けが出されていたのです。他の女性と再婚した韓国人の夫が、彼女の死亡届けを出してしまったのです。数年かけて日本の家族を見つけたところ、日本の家族は『あなたは死んだと聞いている』と言い放ったそうです。韓日両国で身分証明ができない無戸籍者となってしまいました」

――ハルモニは無事に帰国できたのでしょうか。
「青森ロータリークラブが当園を訪ねてきた時、147号ハルモニが『私の命、私を荷物として連れていって』と言ったのです。この話が日本に伝わり、当時の中曽根首相がナザレ園の方々を日本に招待したことがあります。その時、ハルモニは『貨物』として帰国しました。韓日両政府間で了承されたのです」

――韓国の出入国管理にとっては致命的な出来事だったのではないでしょうか。
「それはもう大変でした。出入国管理所がナザレ園の調査に乗り出しました。84~85年度でしたが、当時も無戸籍の方が数人いました。多い時は29人だったと思います。事情を聴取した政府が、戸籍の取得を支援したのです。日本の森山官房長官が韓国に依頼し、7人が日本の戸籍を取得できました」

――147号ハルモニにも戸籍が与えられましたか?
「とても快活な女性だったので心配はいらないと思っていましたが、日本での暮らしは寂しいものだったようです。青森養老院で暮らして1年半が過ぎた頃、日本のテレビ局スタッフと共にナザレ園に番組制作のため訪ねていらっしゃいました。園に着いた時は『おねえさんも日本に行こうよ』と言っていたのに、日本への帰国が近づくと本音を語り始めました。『日本での暮らしは辛い。ナザレ園で暮らしたい。帰りたくない』と仰っていました」

――その後どうなりましたか。
「一生懸命説得しました。なかった戸籍を作って無事帰国できたように、またいらっしゃることができるよう力を尽くします、と。ハルモニからは『必ず連れにきて』と懇願されましたが正直、最善を尽くせたとは言い難いです。当時を思い出すと今でも胸が痛みます」

――民団との交流もありますよね。
「88年ソウル五輪の前後は活発に交流していました。最近では2009年7月に故・鄭進団長と朴炳憲元団長にソウルでお会いし、ナザレ園の支援金を頂戴したことがあります。民団とは色々と縁が深いです」(1986年、民団は創団40周年記念事業として『在韓日本人妻故郷訪問招請事業』を実施した。民団は、解放から40年ぶりに韓国に住む日本人妻たちが日本の家族・親戚と面会する機会を作り、韓日両国で大きく注目された)

【写真左:民団の事業で40年ぶりに家族と再会した在韓日本人妻(1986年、韓国新聞)/写真右:民団の事業で日本を訪問した在韓日本人妻たち(1986年)】

――現在、ナザレ園はどのような状況ですか。
「ほとんどどの方が亡くなり、今は9人だけになりました。平均年齢は90歳を超えているため、余生はナザレ園で過ごすことになるでしょう。日本人の中には『韓国で苦労しているはず』と思って当園を訪ねたところ、充実した施設環境に驚くというケースが多々あります。日本の新聞にも『ここが天国』との見出しで記事が掲載されたこともあります。ナザレ園は”国境を越えた愛”でスタートした施設です。設立者である金龍成氏の父は日本の統治時代、独立運動に参加し、刑務所で亡くなりました。日本を恨み続けていては生まれなかったのがナザレ園です。韓日も過去を乗り越え、仲良くできるといいですね。残り9人の方々が穏やかに過ごせることを願うばかりです」
ナザレ園には現在、東京・埼玉・鹿児島などで生まれた日本人のハルモニたちが暮らしている。休憩室で会ったハルモニたちは皆、今の生活に満足そうな様子だ。
「インジョルミ(韓国の餅の一種。韓国語の”人情味”と発音が似ている)が好きで韓国から離れられない」と、あるハルモニは語っていた。

2019-08-15 7面
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