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最終更新日: 2020-02-27 00:00:00
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2019年06月19日 00:00
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1800年にわたる韓日交流史をたどる<第11回>
百済が「大いなる国」と称された理由

 百済が日本の皇室と血縁関係にあることは周知の事実だ。韓国語の発音で「クンナラ(大いなる国)」が日本で「百済(クダラ)」に変化し、それが百済を示す代名詞となった。この事実は百済と日本の関係性の深さを示す一つの手がかりだろう。しかし、百済に関する謎の中でも、紐解くべきポイントの一つこそが他でもない国の名称だ。(ソウル=李民晧)

 百済、高句麗、新羅、伽耶など、韓半島の古代の国々は紀元前に建国された。漢字が存在しなかった時代に国が建てられたため、それぞれ固有の韓国名が国ごとにつけられている。
高句麗と百済の先祖となる国家・扶余(プヨ)の場合は「火(プル)」と称された。新羅は「サロ」や「ソラボル(ソウル)」と称され、「光」「白い」を意味していた。伽耶は「カラ」と称された。意味は「中央の国」だ。
ところが唯一、百済だけは当初から漢字語のまま受け継がれている。その由来に関する史書の記録は以下の通りだ。
12世紀に高麗王朝が編纂した歴史書・三国史記には「本来は十済から出発したが、国の隆盛に伴い百済となった」と記されている。
また、7世紀に編纂された中国・隋国の歴史書である隋書には「百家済海」という言葉の略語としている。即ち「多くの人々、100の家々が群れを成して海を渡ったことで百済となった」という意味をあらわしている。
在日同胞の研究家で元漢陽大の金容雲教授は「百済という国名のルーツは始祖の名前に由来したと思われる。漢城百済の始祖は温祚だが、『温』は韓国加羅語で『皆』、『百』という意味を持って発音される」と分析した。つまり、温祚が百済となり、それが漢城百済になったというのだ。金教授は、「ウンジン(熊津、または応津、現在の忠南・公州)に国を築いた沸流(温祚の実兄)は『プル(火)』という意味で扶余の正統性を受け継ごうとした」と分析している。
一方、720年に編纂された日本初の正史である日本書紀では初めから百済と記し、クダラ(大いなる国)と読んだ。金教授は「大いなる国」と称された理由について「百済は三韓最大の国・馬韓(古代韓半島南部地方の部族国家)の後身であり、日本列島に置かれた分国『狗奴(くな)』も『大きな国』を意味する。熊津から渡ってきた神功(応神)―狗奴勢力が大いなる国、即ち『くだら』と自称したことは自然の流れだった」(2010年9月、ハンギョレ21寄稿文)との論理を展開している。
百済を大いなる国と称する理由については、次のような説もある。最も有力な説としては、記紀の編纂者が百済の出身であるため、自らの母国を「大いなる国」と称したという説だ。しかし、書紀は正史であるため、編纂者個人の思考を超えた何らかの理由や根拠があったのではないだろうか。
天皇家における権力の変遷と紐づけて分析してみると、興味深い結果が表れた。天皇が万世一系という主張は、日本書紀や古事記が創り出した産物にすぎない。
古代倭国では、韓半島出身者たちの間で絶えず権力争いが発生していた痕跡がみられるからだ。天皇家の多くは百済系であり、現在の天皇の系譜もやはり百済系だ。しかし、それ以前は伽耶系、さらに短い期間には高句麗系も存在していた。
第1期天皇家の王朝は伽耶系で、その最後は仲哀天皇だった。仲哀天皇は神功(応神天皇の母)―狗奴連合軍によって九州遠征で命を落とした。その結果、百済系連合軍は畿内(現在の大阪・京都・奈良一帯)に革命王朝を樹立した。応神政権の樹立であり、第2期天皇家における百済系の始まりだった。応神は百済の首都・熊津(または応津)と発音が酷似しているが、これを偶然とすべきだろうか。
応神政権の樹立後、百済の弓月君は百済127県の百姓(民)を、東漢氏の祖先である阿知使主は息子と17県の百姓らを率いて日本に渡ってきた。彼ら渡来人たちは、農耕、土木、養蚕、製鉄、建築、土器製造などの先進技術を携えて渡日した。技術者たちの集団移住ともいえる。熊津から渡ってきた百済系天皇家と渡来人の勢力が、自身らの本国である百済を「大いなる国・くだら」と称したことは自然なことだったといえるだろう。
日本書紀は、九州に置かれた百済の分国「狗奴」を「熊襲」と称した。漢字名に表れている通り、狗奴には百済と同じ熊信仰があった。ただし、日本書紀は万世一系神話を創り上げるため、伽耶系である第1期王朝とその名称の「やまと(倭)」を引き継がせた。それゆえだろうか。日本書紀には、伽耶系の仲哀天皇と百済系の神功皇后が九州の浜辺で産んだ息子が応神天皇であると描写されている。これは天皇家の正統性をアピールするための歴史操作だ。
日本という国名が韓国・中国の外交文書に登場する時期は西暦670年だ。それ以前まで存在していた「倭」は、果たして日本列島の中から自生した国だったのだろうか。百済は、韓半島という狭小の地に安住していた古代王国のひとつだったのだろうか。その答えは、「クンナラ(クダラ)」という名称の中に隠されている。

写真左=百済州と明記された大阪古地図(1230年頃製作)/写真右=百済バス停(大阪市内)

2019-06-19 3面
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