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最終更新日: 2019-08-15 00:00:00
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2019年06月05日 00:00
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1800年にわたる韓日交流史をたどる<第9回>
長野・善光寺と百済王の息子

ジブリの世界観映す渡来人の物語

 『となりのトトロ(1988)』『もののけ姫(1997)』『千と千尋の神隠し(2001)』…スタジオジブリのアニメは、韓国にもファンが多い。画面の中で繰り広げられる奇想天外な物話に夢中になったかと思えば、いつの間にかエンドロールが流れている。人々の心をつかんで離さないこのアニメの共通点とは何だろうか。 (ソウル=李民晧)


 ”もののけ”の住む地へ

天地万物のすべてが神になり得るという日本人の独特な世界観を垣間見ることができる。木にも精霊が宿り、蹴とばされる石ですら神かもしれないという…アニメに登場する、森の中に住む不思議な生き物「トトロ」も、実は森の精霊だ。
日本にいる神を全て合わせると800万に及ぶという。日本という国はシャーマニズム、アニミズム、トーテミズムがミックスされた自然宗教の天国だ。こうした日本の中でも、最も霊性の強い地が長野県だ。その信仰を証明するかのごとく、長野には由緒ある寺と神社が四方に存在する。
それは、長野のかつての地名・信州という名称にも表れている。信州とは「信仰の地」という意味だ。「信州」という地名の由来は、日本の氏神を祀る神社・諏訪大社(すわたいしゃ)があるからだという説が有力だ。長野県の諏訪湖周辺に四つの社を置くこの神社は、日本全国の諏訪神社2万5000社の総本山だ。祭神として祀られているのは、日本の神話に登場する「建御名方(たけみなかた)」という紀元前の氏神だ。長野では、そばや銀行、店舗名にも「信州」の名称がよく使われているが、その意味を知り、改めて長野を見ると「ここはもののけの地ではないか」などと感じるかもしれない。 
長野県には、日本人が一生に一度は行くべきだとされている仏教の寺がある。日本三大仏教の寺として挙げられる善光寺だ。この寺は、百済と深い縁があることでも有名だ。百済・聖王(日本名:聖明王)が朝廷に授けたという日本最古の仏像があり、寺の創建者も韓半島の渡来人だからだ。
しかし昨年末、いささか眉唾ものの情報が入った。この地は新羅系僧侶が多いという話だ。百済との関係が深いことで知られるこの寺を、なぜ新羅の末裔が僧侶として守っているというのか。その話だけでも記者の好奇心を掻き立てるのに十分だった。日本列島を成す4島のうち、最も大きい本州、その中央部に鎮座する「もののけの地」長野行きの新幹線に乗った。



善光は百済・義慈王の息子

寺名である「善光」は人物名だ。善光は、百済王朝最後の王、義慈王の息子・夫餘勇を指す。善光は幼い頃、兄の夫餘豊(豊王)と共に日本で暮らしていたことが伝えられている。663年9月、白村江(錦江、全羅北道長水郡を源に、忠清道まで流れる全長400キロの河川で、韓国6大河川の一つ)の戦いでは、百済の復興軍と日本支援軍が羅唐連合軍との戦に参戦した。しかし、百済復興軍が敗れると共に豊は高句麗に亡命し、勇は日本に身を隠したという。
滅亡した百済王朝の子孫たちの末路は悲惨だった。死ぬか、人質として捕らわれるか、または隠遁するかのいずれかだ。生き残った人々の中で最も日の目を見たのは夫餘勇・善光だ。善光は日本で、在日百済人社会の元祖リーダーだった。664年、大和朝廷は彼に「百済王」という姓氏と共に現在の大阪・天王寺区である難波の土地を与えた。百済人たちが大阪を拠点に暮らした痕跡は、細工谷遺跡、百済尼社、百済寺、百済王神社などにみられる。
しかし、善光の名が長野県の寺の名称となったのは、どのようないきさつがあったのだろうか。
善光寺のホームページには「草創期を語る史料は残念ながら善光寺には残っていません。……平安後期、12世紀後半に編さんされた『伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)』には、8世紀中頃に善光寺の御本尊が日本最古の霊仏として中央にも知られていたことを示す記事を伝えています」と記載されている。
ここでいう「本尊」は西暦552年、百済第26代聖王(聖明王)が欽明天皇に贈った仏像「百済一光三尊阿弥陀如来像」を指す。日本最古の仏像であり、日本の国宝だ。
善光寺の伝説をまとめると、大体次のようなストーリーが構成される。百済聖王が大和朝廷に贈った仏像を、新羅系渡来人の代表である物部氏が難波(現在の大阪)の堀江に投げ捨てた。物部氏は仏教をなくそうとする廃仏派で、蘇我氏に代表される百済系渡来人たちは崇仏派だった。
それから50年後、信濃(現在の長野県)出身の本田善光という人物が大阪を通る途中、川の中から眩しい光が射したかと思った瞬間、仏様が彼の背に乗り、こんな言葉をかけたという。
「聖王の生まれ変わりである善光よ、私を連れてこの国の民を救済せよ」
この言葉を聞いた本田は仏像を持って長野に戻った。その時に建てた寺こそが善光寺だというものだ。
写真:長野・善光寺は百済王朝最後の王・義慈王の息子・夫餘勇を指す「善光」が由来(2019年1月 写真=李民晧)

2019-06-05 3面
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