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最終更新日: 2020-02-27 00:00:00
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2019年05月29日 00:00
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1800年にわたる韓日交流史をたどる<第8回>
八坂神社との深い縁 高句麗使信・伊利之

 前回で触れた京都・八坂神社の祭神、スサノオと春川・牛頭山(日本書紀に記されたソシモリ)の話は、歴史書・日本書紀に登場するが、ミステリー的な要素がある。しかし、スサノオの話に関連して日本の歴史書に登場する韓半島出身の人物がいる。日本書紀や新撰姓氏録などに記された高句麗の使信・伊利之だ。伊利之は、八坂神社と切っても切れない縁のある人物だ。(ソウル=李民晧)

 伊利之は春川人?

それは、伊利之がスサノオを日本に移した人物だからだ。日本書紀には、伊利之が百済系女王の斉明天皇(655~661在位)2年8月8日、副使として達沙ら81人の高句麗使信団の一員として日本を訪れたと記されている。八坂神社の創祀である「由緒略記」には、「伊利之が高句麗から新羅の牛頭山に置かれたスサノオを京都の地に招き、祭祀を執り行い、(日本の)朝廷が伊利之に八坂造(やさかのみやつこ)という姓を授けた」と記録している。

八坂神社(2019年1月、撮影=李民晧)


伊利之に関するもう一つの興味深い記録は、新撰姓氏録に登場する。この本の「山城国諸藩」という項目には「渡来人の八坂造(伊利之)」の祖先は「貊國人之留川麻乃意利佐也」と書かれている。原文記録は「出自狛國人之留川麻乃意利佐也」だ。貊國は、江原道春川にあった古代国家の名前だ。春川といえば、前回触れた牛頭山、スサノオが天から降臨したというソシモリ(日本書紀に書かれている表現、韓国名ソモリ=牛頭)がある地だ。この新撰姓氏録の記述が事実ならば、伊利之の先祖たちは春川で暮らしていたと推論できる。
この時点で解くべき課題が発生する。高句麗の使信が新羅の神を日本に連れて渡った理由、そして、貊國人である伊利之が高句麗の使信となり日本に行った理由だ。これらを究明することは研究テーマとなるだろう。ただし、既に事実が確認されていることもある。伊利之(朝廷から得た名前は八坂)は当時、日本の首都だった京都で大きな勢力を持つ権力者の隊列に上がったのは間違いない。彼が建てた霊廟は八坂神社だけではない。八坂神社を正面から臨むと、右側の丘のふもとには法観寺(八坂の塔)がある。彼の一族が建てた寺こそが法観寺で、八坂寺とも呼ばれる。歴史研究家の伊藤信博氏(名古屋大学)は「桓武期の政策に関する一分析」と題した論文で「平安京(首都)の礎を築く際も、秦氏(新羅系)、八坂氏等の渡来系豪族の 協力無しには不可能であった」と述べている。法観寺については「高句麗からの渡来人と思われる八坂造一族の氏寺として創建」としている。
新撰姓氏録は、815年に日本の王族である萬多親王(788~830)が編纂した氏族名簿だ。1182の氏を出身別に分類し、先祖まで記録してある歴史書だ。当時の朝廷と貴族の大多数が韓半島の渡来人であることを立証している。高句麗の使信・伊利之の出身については、次のように記述されている。

氏族 八坂
姓 造
序列 933
本貫 山城国
種別 諸蕃
区 高麗(=高句麗)
始祖 出自狛國人之留川麻乃意利佐也

在日同胞の学者・金達壽氏は、著書「日本の中の朝鮮文化2」で、八坂神社と伊利之について次のように書いている。
「八坂神社付近は本来”八坂郷”と呼ばれた。(八坂)神社の伝説によると、656年、高句麗から日本に来た調進副使・伊利之が創建したという。牛頭天王は、釈迦生誕の地と縁のある祇園精舎の守護神であり、名前は新羅の牛頭山に由来したものだ」

 八坂神社が記録した歴史

1870年、八坂神社は『八坂社舊記集録』という冊子を上中下巻で発刊した。八坂神社の歴史が詳細に刻まれたこの冊子の上巻には「八坂郷鎮座大神之記」という1頁綴りの文書がある。この文書は、1079年に自身の先祖たちが残した昔の記録をそのまま書き写したものだという。この記録を解読すると、大方次のような解釈となる。
「斉明天皇即位2年(656年)、丙辰8月、韓国の調進副使・伊利之使主が再来した時、新羅国・牛頭山に置かれた須佐之雄尊(スサノオ)の神魂を清め、黄国(日本)に連れてきて、初めて祭祀を執り行った。当時の朝廷から愛宕郡八坂郷の土地とヤサカノミヤツコ(八坂造)という姓が贈られた。12年後の天智天皇在位6年、丁卯(667年)に社号を「感神院(八坂神社)」とし、宮殿を建てた。牛頭山にあった大神を『牛頭天皇』と称し、祭祀を行うことになった。淳和天皇在位天長6年(829年)、右衛門督紀朝臣『百繼』に『感神院』の祀官兼八坂造の業を継がせた。奉齊御神 名記/神スサノオノミコト(速須佐乃男) 尊」

*「八坂郷鎮座大神之記」原本

齊明天皇 即位 二年 丙辰八月(656年)韓國之 調進副使 伊利之使主再來之時、新羅國 牛頭山に 座す 須佐之雄尊 之 神御魂を 齋祭來而、皇國祭始依之 愛宕郡に賜に 八坂郷 並 八坂造 之姓、 十二年後 天智天皇 御宇 六年(667年) 丁卯社を號て 爲に 威神院 宮殿 全造營而 牛頭山 坐之 大神 乎 牛頭天王と 奉秤 祭祀畢に、淳和天皇 御宇 天長六年(829年)、右衛門督紀朝臣 百繼に 感神院 祠官 並 八坂造の之業を賜て爲に受續。
奉齊 御神 名記 神 速須佐乃男尊

2019-05-29 3面
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