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最終更新日: 2020-01-22 00:00:00
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2019年05月15日 00:00
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新生 韓国と日本 9
日本を見直し、韓国を再考する

崔 在羽

 韓日両国が「葛藤の隣国」にならざるを得ないのは、深い歴史的因縁があるからです。古代において、韓国からの渡来人が日本の国造りを行いました。日本の上流社会は渡来人によって形成されたわけです。同じ人種が二つの国になったわけですから、両国間に「こじれ(葛藤)」が芽生え始めても不思議はありません。
たとえば九州の有力人が勢力争いで不利になったから東京に移住して、そこの実力者になったようなものです。両者は似ているがゆえに、後日こじれが生じたとしてもおかしくありません。言ってみれば兄弟喧嘩のようなものです。そして兄弟喧嘩は世の常です。
戦前は韓国人が日本の国造りをしたという学者はまったくおりませんでした。日本人は単一民族であることを強調し、国民に選民意識を持たせていました。終戦後は学問も自由になり始め、東洋史学者の江上波夫氏が「日本の古代国家は北東アジアの騎馬民族に支配された」と主張しました。これには学界もマスコミもびっくりです。しかし、騎馬民族が朝鮮族だとは言っていません。朝鮮人なんかに支配されたとは言い難かったことでしょう。
私は、その騎馬民族が古代朝鮮族であることを考証したいと思います。その主な根拠は「古事記」と「日本書紀」にあります。
古代の満州と韓半島には古朝鮮族がいましたが、満州と半島北部に漢が侵入して漢四郡を置いて支配していました。この時代に、一部の朝鮮族は漢の支配に抵抗して漢四郡を廃し、高句麗を建国しました。また一部は、漢の支配から脱出してより住みよいところを探して黄海(西海)を南下します。そして、韓半島南部の伽耶(今の釜山に近い金海)で国造りを始めました。日本ではここを任那ともいいます。1世紀の頃でした。
ところが伽耶は、西北の百済と東北の新羅に挟まれて、いま一つ「住みよいところ」ではありませんでした。そこで、新羅の都である慶州方面に領土を広げつつも、一部の人たちはより住みよいところを探して、さらに海を南下します。そうしてたどり着いたのが日本の九州だったのです。
伽耶から見れば九州は、ちょうど日(太陽)が昇るもと(本)になります。どこに行ってきたのかと聞かれれば「日の本」と答えるでしょう。それが後の国号になったといいます。
古事記と日本書紀によれば、最初に九州に現れた神様は三柱で、次に現れた神様は二柱でした。この神々は独身であり、姿が消えたり現れたりしました。それはそのはずです。最初に九州に渡った伽耶人は住みよいところを探しに出かけた「探検隊」だったわけですから、もし結婚していても家族は連れてこなかっただろうし、伽耶と九州を行き来しているので急に姿が消えたり現れたりと見えたのでしょう。
この神様たちは九州から始めて東北方面に進みながら、伽耶から人や文化を移し、原始状態だった日本の原住民を懐柔したり、指導したり、服従させたりしながら国造りをしていったのでした。(次号より在日社会面に掲載)

2019-05-15 6面
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