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最終更新日: 2020-02-19 00:00:00
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2019年04月10日 00:00
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1800年にわたる韓日交流史をたどる<第4回>
今上天皇の高麗神社訪問 高麗文康宮司インタビュー

 埼玉県日高市にある高麗神社は1300年の歴史を有する関東初のコリアンタウンであり、在日高句麗町の拠点だ。この神社が一躍、話題となったことがある。2017年9月20日、今上(明仁)天皇がプライベートで高麗神社を訪れた日だ。天皇は01年12月に行われた誕生日の記者会見でも「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています(宮内庁ホームページ)」と述べたことがある。なぜ百済ではなく、高句麗人の息遣いを感じる地を訪ねたのだろうか。韓国の史書「三国史記」にも記述されているが、高句麗と百済の王室は古代部族国家「扶余」という同じルーツをもつ。今上天皇は天皇家の直系である百済に限らず、広義で高句麗をルーツの延長線と捉えて高麗神社を訪問したものと考えられる。天皇と高麗神社に関する話を、神社の代表である高麗文康宮司から聞くことができた。高句麗王族「若光」の60代目末裔を自任する高麗氏とのインタビューは、19年1月に行った。(ソウル=李民晧)

「高句麗」の表記が鮮明な高麗神社の扁額
―高麗神社は、どのような意味を持つ神社ですか。
「高麗神社で祭っている方は7世紀の高句麗からの渡来人、若光です。高句麗王族の若光は666年に使節として日本に渡りましたが、日本滞在中に高句麗が滅亡(668年)しました。以降、大和政権の貴族となり、最終的にはこの地(日高市一帯)に居を構えました。高麗郡の創建時は初代郡司となり、高句麗村を開拓するリーダーとなりました。彼が他界すると、子孫たちは彼の魂を祭る霊廟を建てました。それが高麗神社の始まりです」

―韓半島の北方からここまでたどり着くことは可能でしょうか。
「当時の高句麗は存亡の危機に瀕していました。長い間、同盟相手だった百済も滅亡状態でした。高句麗は単独で新羅・唐と対峙していたため、国の存続にかけては手段を選ぶことのできないほど危急な状態でした。海を渡って日本に来たのは、選択肢の一つだったのです」

―若光はどんな人物ですか?
「高句麗は666年、2度にわたって日本に使節団を派遣しましたが、若光は同年10月、2回目の使節団の一員として渡日しました。日本書紀には、使節のメンバーとして玄武若光(げんむじゃっこう)という名前が記録されています。我々は、現在高麗神社に祭られている若光とその人物が同一であると考えています。高句麗王族だった若光は、使節団の中でナンバー3のポジションでした。当時は百済の皇太子も日本に渡っていました。危機に瀕していたため、日本で救援軍を募り高句麗に連れていくために渡日したのではないでしょうか」

―若光は日本でどのような役割を担っていましたか。
「高句麗が滅亡したことで多くの人々が日本に渡ってきました。特に関東地方(武蔵国)に多くやって来て、最終的な集結地となったのがここ高麗郡です。716年、高麗郡が建つ際に集まった高句麗人は1799人で、当時の郡司が若光です。すでに高齢でしたが、若光はリーダーとして高句麗の子孫らを引き連れ、不毛の地を開拓しました」

―亡国によって海を渡ってきたボートピープルと言えますよね。
「若光は外交使節として渡日したのでボートピープルとは言えませんが、そうしたパターンはかなり多かったと思います。高句麗の滅亡と前後し、多くの人々が命を懸けて海を渡ってきたのですから」

―2017年9月、今上天皇がここを訪問しました。その時はどのような状況でしたか。
「現在の天皇陛下は、古代日本の創建に貢献した渡来人たちの足跡について高い関心を寄せていらっしゃいます。高麗神社を訪問するにあたり、自ら勉強してからいらしたと伺っています。ここを含め、日本に渡った渡来人の足跡について、日本古代史や東アジア関係史の専門家たちから学ばれたとのことです。ここにいらした際も、私にたくさん質問をなさっていました」

―具体的に、どのようなことに関心をもたれていましたか。
「高麗神社の各種資料を隅々まで大変熱心にご観覧されていました。例えば、私の家では『武蔵国の高麗氏系(むさしのくにのこましけい)』という家系図を代々受け継いでいます。それをお見せすると、ほとんどの人は大体ただうなずくだけです。しかし天皇陛下は「ここにこのようなことが書いてあるのですね」「本当に書いてあるのですね」と確認するご様子でした。まるで研究者のようだと言いましょうか。高麗郡が生まれた時、高句麗人たちはどのようなことをしたのか…渡来人に対するこうした類の質問に終始していたと記憶しています。天皇陛下はここにいらして、日本が国家王朝を創る時に韓半島から来た渡来人たちが『どのような役割をしたか』『どのような力を発揮したか』を直接確認なさりたかったのではないかと思います」

―神社を訪れる参拝客が多くて驚きました。これほど多くの人々が訪れる理由は何でしょうか。
「いつからか、ここに『出世の神』が宿っていると言われ始めました。実際、近代化(明治維新)以降に参拝した方々の中には、総理大臣や最高裁判長など出世した方が多数いらっしゃいます。そうした事例が広まったせいか、日々多くの方が参拝に訪れます。(筆者を見つめながら)今日、参拝して出世してみてはいかがですか(笑)」

2019-04-10 3面
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