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最終更新日: 2020-02-13 00:00:00
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2019年03月27日 00:00
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1800年にわたる韓日交流史をたどる<第3回>
高句麗の面影香る埼玉県

日高は関東初のコリアンタウン

 埼玉県は関東平野の一角、東京都に隣接する首都圏の1県だ。その地名は「国境」「辺境地」という意味を含んでいる。東京から電車1本で行くことができる埼玉は、高句麗の渡来人たちの足跡が多数残されている地だ。中でも高句麗人の香気が濃く残る日高市。この人口5万7000人の小都市は、常に観光客で賑わっている。(ソウル=李民晧)

 日高は、季節を問わず方々から訪れる観光客が後を絶たない人気スポットだ。
「なぜ?」「まさか高句麗の足跡をたどるため?」
正解だ。市は高句麗を観光客誘致のマーケティングツールとして掲げている。日高で最も人気のある高句麗の痕跡は高麗神社だ。その歴史は、在日高句麗人の子孫たちが、彼らの頭首・若光を崇めるために建てた霊廟に由来する。1300年超の歴史を誇る生きた遺跡である神社は、現在も若光の末裔が守っている。韓国では目にすることのできないミステリアスな観光スポットだ。日本人にとっての参拝地でもあるこの神社を取材対象と決めるのに躊躇する理由はなかった。 
高麗神社へのルートは極めて簡単だ。日本で最もポピュラーな移動手段である電車で行く場合、必ず停車する駅がある。JR東日本高麗川駅だ。改札口を出た右手には、韓国人には馴染みのオブジェがある。村の守護神・将軍標の天下大将軍と地下女将軍だ。
木で造られた将軍標の間には地図が設置されている。地図を見ると、まさに「この町は高句麗の町だ」と実感することができる。
高麗神社だけを目当てに行くと驚くはずだ。高麗郷土民家、高麗橋、高麗郷、高麗峠…学校、町会館、マンション名にも高麗の文字が記されている。地図の下部にはハングル案内文まで書かれており、分かりやすい。
「古代朝鮮半島の高句麗と歴史的関わりが深い日高市では、ハイキングコースでも『チャンスン(将軍標)』を見つけることができます。高句麗で『チャンスン』は村の魔除けとして建てられていました。観光客や市民の方々が無事に過ごせるようにいつでも守ってくれています」

将軍標の倒壊でより強固な像を民団が寄贈

このように、将軍標の保護を受けているような気分で日高の取材をスタートした。目的地である高麗神社への訪問に先立ち、渡来人の痕跡が残る橋に寄った。日高市を横切る河の名前は高麗川だ。水路で分かれた土地を繋ぐ橋にも、高麗川橋・高岡橋など高句麗の名前が刻まれている。
今昔問わず、人が集まって暮らす場所には水があるものだ。韓半島北方で暮らしていた高句麗人たちが、高麗川周辺に集まって暮らしていたことを想像してみた。しかし、それを直接目にしても信じがたいものがあった。ソウルから東京までは直線距離で1300キロ、飛行機なら2時間強の距離だ。
しかし、かつての高句麗の地を考えた場合、全く事情が異なる。韓半島の中でも日本から最も遠く離れた場所なのだ。古代人たちは険しい山を幾度も越え、波が暗くて荒いことから名付けられた玄界灘を渡り、日本の地に上陸した。再び内陸を数百キロ歩かなければ、この地にたどり着くことはできない。「果たしてそれは可能なのだろうか」と思った。しかし、歴史的事実だ。前回の記事の通り、高句麗人の定着記は歴史書にも記載されており、それを証明する高句麗の末裔たちが日本の地に暮らしているからだ。
高麗川の緩やかな流れを見つめながら、あれこれ想像しつつ高麗神社へと向かった。道のりは非常に楽だ。高麗川駅から1・5キロだから、歩いて30分程度で到着する。曲がりくねった道の様子は韓国の田舎道を歩いているような気分だった。
高麗神社の入り口で出迎えてくれるのは、またまた将軍標だ。成人男性の背丈の2倍をゆうに超える大きさの石で造られている。左側は天下大将軍、右側は地下女将軍が守っている。将軍標の後ろに刻まれた文言が目を引いた。
「(民団が)1992年10月25日に寄贈した木の将軍標が自動車事故で倒壊し、今回改めて石の将軍標を製作」
この石の将軍標は2005年10月、民団(在日本大韓民国民団、当時の金宰淑・中央本部団長)が韓日国交正常化40周年と「韓日友情の年」を記念して製作、高麗神社に寄贈したものだ。現地で聞いた話によると、最初に民団が寄贈した木の将軍標は、韓国を嫌うある日本人が自動車をぶつけて破損させたという。倒れてもまた起き上がる起き上がりこぼしのように、再び建てればいいと判断したのだろう。在日同胞たちは、少しずつ資金を集め、自動車が衝突しても壊れない強固な石で将軍標を作り、再び高麗神社の前に建てた。

高麗神社の由来

では、高麗神社はどのように建てられ、どういう流れで高句麗の人々がここまでたどり着いて暮らすようになったのだろうか。神社の境内にある日高市が製作した案内板は、それをコンパクトに説明している。
「高麗神社は高句麗国の王族・高麗王若光を崇める神社だ。高句麗の人々は中国大陸の松花江流域に住んでいた騎馬民族だ。彼らは韓半島に進出し、中国大陸の東北部から韓半島北部を領有し約700年に渡って君臨した。その後、唐国と新羅の連合軍による攻撃で668年に滅亡した。当時の乱を避けようと、高句麗国の貴族や僧侶らが多数日本に渡り、主に東国(現在の関東地方)に住んだが霊亀2(716)年、そのうち1799人が武蔵国(現在の日高市、高麗神社周辺)に移住し、新たに高麗郡を置いた」

写真=日高のあちこちに残る高句麗の面影

2019-03-27 3面
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