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最終更新日: 2019-04-24 00:00:00
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2019年03月20日 00:00
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1800年にわたる韓日交流史をたどる<第2回>(上)
高麗が高来に名前が変わった理由は?

 韓国人にとっては馴染みのあいさつ「おいそ(来て)」が日本の町名になったという事実をご存知だろうか。日本に残る韓半島の足跡を訪ねるなかで、思いがけない事実と出合うことができた。(ソウル=李民晧)

「おいそ(OISO)」と書かれた灯台(神奈川県大磯の港)
 昨年から取材を続ける中で、度々「おいそ」というフレーズに出くわした。最初に出合った「おいそ」は、短縮語の「わっそ」だった。次は、大阪・生野コリアタウンの百済門前だ。そして釜山出張時にチャガルチ市場入り口でも、そのフレーズを目撃した。両方とも同様に「おいそ、ぼいそ、さいそ(来て、見て、買って)」という文字が書かれていた。市場で何かを買わずにはいられなくなるような響きを持つ韓国語「おいそ」。それまでは「なるほど」といった程度だった。
しかし、最後に出合った「おいそ」には、実に好奇心を刺激された。神奈川県にある大磯(おおいそ)町だ。なぜ日本に大磯という韓国語の地名があるのか、気になって仕方がなかった。じっくりとその由来を探っていきたい。
ネット社会において、分からないことを調べるための正攻法はホームページを検索することだ。しかし、大磯町のホームページ上には韓国関連の資料は見当たらなかった。そうした中、大磯丘陵に関する説明の中で目を引く単語を見つけた。「高麗」だった。
「大磯町には、緑豊かな貴重な自然が残されています。東京方面から東海道線や国道1号線で大磯を訪れて最初に出会うのは、車窓右手に見える深い緑に覆われた高麗山(こまやま)です。江戸時代までは山全体が高麗寺(こまじ)の霊域として保護されてきたことから、多種多様な自然の宝庫となっており、神奈川県の天然記念物に指定されています」
大磯は東京駅からJR東海道線本線・熱海行きの電車で1時間ほどの場所にある。神奈川県南部に位置し相模湾に面している、人口3万人強の小都市だ。

高句麗人の上陸地

 町のホームページに掲載されている高麗山と高麗寺は、高句麗人と密接な関係にある。日本における「高麗」とは「高句麗」を指している。7世紀、高句麗の渡来人たちが大磯海岸に大挙して上陸したものと伝えられている。頭首は若光(じゃっこう)という人物で、高句麗最後の王である寶蔵王の息子、または親戚とされている。高句麗の滅亡直前に使臣として日本に渡った若光は、日本書紀に「玄武若光」という名前で登場する歴史上の人物だ。
再び高麗山と高麗寺の話に戻ろう。大磯丘陵東方にある高麗山は、標高168メートルのこじんまりとした山だ。昔から地元住民はこの山を高麗寺山と呼んだ。実際、江戸時代までは山中に高麗寺があり、幕府の実権を握っていた徳川家康の一族がこの寺に東照宮(家康を祀る霊廟)を置くほど大切に扱っていた。山の入り口には、高麗寺の付属寺院として日本の土俗神の霊廟・高麗神社を置いた。現在、山中の寺はなくなったが、神社は今でも健在だ。しかし、なぜか名称が高来神社(たかくじんじゃ)に変わっている。
高麗山、高麗寺、高麗神社という名前からも分かる通り、大磯一帯は高句麗の渡来人たちが暮らしていた町だ。明らかな証拠もある。近隣の古墳群から出土した装飾品が、高句麗のものと同じ様式で作られていたのだ。
高麗山南方に「もろこしが原(現在の唐ヶ原)」という地名が残されているのも渡来人の痕跡といえる。もろこしは唐土、つまり文字通りであれば中国の地という意味だ。しかし、必ずしも中国を指しているわけではない。唐とは、海を渡り、日本に来た渡来人たちの総称でもあるからだ。
一説によると、高句麗の渡来人たちが上陸した頃、大磯は未開の地だった。そのため、高句麗人たちは食料を自給すべくこの地にもろこしの一種である唐きびを植え、畑を開墾した。もろこしは芋、そばなどと同様にやせた土地でもよく育ち、生育期間も短い救荒作物だ。もろこしは現代の日本語では「とうもろこし」と呼ぶ。そう考えると「もろこしが原」は「もろこし畑」だったといえるだろう。

由緒ある名称を変えたのは誰か

 では、高麗寺が高来(たかく)神社へと名称を変えたのはいつだろうか。以下は、高来神社の総責任者である渡辺幸臣宮司の説明だ。
「本来、ここには神仏(日本神道と仏教)を一緒に祀っていました。江戸時代まではそうでした。しかし、明治(1868年~)時代に差し掛かる頃、神道と仏教を分けるよう政府の指令がありました。それで仏教霊廟は閉鎖され、神社に代わりました。(名称が変わったのは)明治政府の当時の高官ら数人が大磯に住んでいました。その高官らが、霊廟に朝鮮の名称は良くないと言い、明治30(1897)年に「高来」へと名称が変わったと推測されます。究明する術はありませんが、朝鮮名を嫌う高官らの指摘がきっかけだったようです」(2019年1月インタビュー)。
日本書紀と続日本紀によると、若光が日本に上陸したのは666年10月。大磯・高麗寺の始まりがその頃であることをふまえると、名称が変わるまで1200年以上にわたって高麗という名称を維持していたということになる。

伊藤博文の指令「高句麗の名称を消せ」

 伝統を重視する日本社会で、その風土を覆せるほどの権力を持った人物とは一体誰なのか。渡辺宮司が指摘した明治政府の高官らを探すのは困難なことではなかった。大磯町のホームページ(www.town.oiso.kanagawa.jp/about.html)上にそれらしい人物を見つけた。
「明治20(1887)年には大磯駅が開業しました。当初は平塚から国府津までの間に駅は必要ない、という計画でしたが、松本順(初代日本陸軍軍医総監)が当時の初代内閣総理大臣・伊藤博文に相談し、大磯駅が誕生。その後明治30(1897)年には、伊藤博文が温暖な大磯の気候を気に入り、居を移しました」
伊藤博文は、韓国人にとって悪名高い日本人だ。日本帝国主義の先鋒に立って日本の韓半島統治を規定した韓日併合条約(1910年)を主導・推進した人物だからだ。独立運動家・安重根義士が1909年に中国ハルビンで狙撃した人物でもある。

(下に続く=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=85794&thread=01r05

2019-03-20 3面
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