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最終更新日: 2019-03-20 00:00:00
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2019年02月20日 00:00
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李梅渓の故国への心情はチャクサラン(片思い)?

 梅の季節になった。その梅から想起するのは、まず梅干の酸っぱさだが李梅渓という名前も思い出す。梅渓は雅号で、本名は李全直だ。紀州藩(和歌山県)の北方の葛城山の麓に梅原村という集落があり、明治時代は海草郡貴志村と称したが、昭和17年(1942)に和歌山市に編入されたということだ。
その地に、藩主より別荘を賜ったということで、梅渓という雅号はその梅原村の名に由来するそうだ。以来、李梅渓はその地の別荘で、老親を介護していたということだが、藩の重臣である安藤帯刀に乞われて、風光明媚な梅の名所であっただろうと思われるその地を譲ったという。
徳川家康の10番目の子である頼宣が紀州藩の藩祖となったが、李梅渓はその藩祖頼宣の子の光貞の師匠となって儒教を教えた。他方、頼宣の意を体して、紀州藩の憲法とされている『父母状』などを記し、大儒と崇められた。また書の達人でもあり、各地に梅渓の遺墨が数多く残されている。
特筆すべきは、朝鮮通信使との交流だ。明暦元年(1655年、朝鮮孝宗6年)10月、4代将軍家綱の襲職を祝賀する朝鮮通信使が江戸に至り、日光東照宮などを見学した。李梅渓も頼宣に従って江戸におり、朝鮮通信使の一行と面談して、「私の父は眞栄で、貴国慶尚道霊山の人だ」などと打ち明けた。
梅渓はまた、「通信使の衣・冠は亡き父を思い出させます。もし行列が霊山を通り過ぎますれば、紀州の地に末派がいたとお伝え下さい。双方の地のカモメが誓いあって万里を尋ねれば東海の一波臣は大変嬉しい」という内容の漢詩も披露した。
従事官南龍翼は『扶桑録』や『聞見別録』『海行摠載』などを著し、李梅渓のことを「李全直の父はわが国の人で、出自は全州である。ゆえにその子は全直である。全直は人となりが純厚で、詩律を解する。筆画もすばらしい」などと記している。
とはいえ、李梅渓の故郷を思う真心は、はかない泡となったようだ。帰国した通信使は、冷たい態度だった。というのも、当時の朝鮮では壬辰倭乱(文禄慶長の役)で日本軍の捕虜となったのは恥辱とされ、戦死した者と見なされるのが普通で、捕虜の子孫に言及することなどはありえなかったからだ。
現在の在日韓国人も、故国への熱い気持ちを持っているのだが、故国の人たちは冷たく蔑視するかのような態度をとる人が多い。換言すれば、在日韓国人の故国への思いはチャクサラン(片思い)だということだ。(韓登)

2019-02-20 4面
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