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最終更新日: 2018-10-11 00:00:00
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2018年10月11日 00:00
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高麗青磁への情熱―154―

四人共同経営(三)

柳根瀅
高徹・訳/馬瑞枝・画

 「黄仁春です」
「一度貸すと約束したんですから、後へは引けません。誰とでも一緒にやってください。さあ、話は決まったことですから、水蜜桃でもどうぞ」
「はい、ありがとうございます。外に三人が待っていますので、呼んできて紹介もしながらいっしょに食べます」
三人を連れて入り、それぞれ挨拶を交わした。われわれは雑多な道具を一式そろえて、次の日から作業に取りかかった。他に雑役夫もなしに、四人だけでひっそりと仕事を始めた。皆が仕事の手順を知っているため、ああしろ、こうしろと言う必要もなかった。お互いに手の空いたときに仕事を探し合ってやるので、気疲れもしなかった。それよりも、われわれ自身の力でやるので、自負心も大きかった。
 永登浦で作業を始めてから二、三日経った頃、父が訪ねてきた。二〇年余り音さたのなかった父が突然、現れたのだ。一方では驚きもしたが、家族全員喜んで父を迎えた。私が五、六歳のとき、まるで浮雲のように何か月に一度ずつ帰ってきていた父の消息が、二〇年以上もなかったせいもあるが、私自身幼かったし、また父との間に特別の情もなく、長い間生活難に苦しんでいたせいで、その存在をまったく忘れていた。このことで読者諸氏が、悪い奴だ、親不孝者だとお怒りになっても、私はそれを甘んじて受ける。弁明めいた言い草であるが、人間はその時その時の境遇や立場や環境によってどうしようもない場合がある。
この頃のことを思い出すと、とにかく四人の共同経営で作品を作れば販売には問題がなかったときなので、裕福な暮らしとまでは行かなくとも、何とか朝夕の食事は保証できるようになっていた。
父と母は同い歳だった。次の年、私は両親の還暦を同時に祝ってあげた。境遇が境遇だけに十分な準備はできず簡素なものであったが、基本的なことは調えた。
父は七二歳のときにこの世を去り、母は八年後、八〇歳で亡くなった。母は陰暦六月一六日に死亡、命日は六月一五日であり、父は陰暦七月八日に死亡、命日は七月七日である。両親の命日が暦の上で記念日なので、いくら親不孝者の私でも、これらの日だけは忘れることはない。
永登浦で仕事を始めてから暫く後のことである。当時の京畿道庁の産業技官だった林貴男が毎日訪ねてきては、われわれの仕事ぶりをいちいち注意深く眺めていた。この人の姓名は朝鮮人のようであるが、実は日本人だった。彼は日本の工科大学窯業科を卒業して、自宅にも現代磁器の工場を持っていた。彼は陶磁器の経験を得るために朝鮮に来て、京畿道の朝鮮総督府産業課技官として採用されていた。

2018-10-11 6面
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