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最終更新日: 2018-10-21 23:01:56
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2018年09月27日 00:00
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紀州藩(和歌山)の「父母状」

 紀州藩(和歌山)の大儒学者として知られる李梅渓(1617~1682)は、藩祖徳川頼宣の侍講として仕え、頼宣の意を汲み、万治3年(1660)に「父母状」を書したことでつとに有名だ。その「父母状」とは、「父母に孝行に、法度を守り、へりくだり奢らずして、面々家職を守り、正直を本とする事。誰も存たる事なれども、常々下へ教え申すべきものなり」というものだ。
この教えは、紀州藩250年の藩政の規範となり、教育の指針として明治23年(1890)教育勅語が発布されるまで、藩内の塾、学校、集会場、各家庭などにおいて、これを朗読し、親孝行の道を教え、藩の風教維持につとめたといわれている。いわば、紀州藩の「憲法」のようなものだったと評価されている。
藩祖徳川頼宣は、徳川家康の10番目の子供で、第8代将軍徳川吉宗の祖父にあたる。李梅渓の父は李眞栄といい、慶尚南道霊山の出身で、豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、浅野季長軍に捕まり、俘虜として連行された。各地を転々としながら、縁あって海善寺(和歌山市)で生活するようになった。
その時のエピソードとして、頼宣17歳、眞栄49歳のとき、頼宣から、臣下にならないかと懇願されたが、「二君に仕えず」と固辞したという。つまり、朝鮮国王に仕える身であって、日本国王には仕えないという意味だ。そのような父の薫陶を受けた李梅渓は、父と同様に頼宣の学問の師匠として仕え、紀州藩の発展に大きく貢献したといわれている。
「父母状」起草のきっかけとなったのは、熊野地域での父親殺し事件で、牢に入れられた息子は「なんで悪いのか」と開き直るばかりだった。その息子の説得にあたったのが李梅渓で、最後に人間の心を取り戻した息子は、あの世へ旅立ったということだ。
今の時代も親族間での事件が相次いでいるが、儒教の教えを説くと、古臭いといって、相手にもされない。人間が人間らしく生きるためには、人間が生きるべき道を説く儒教の教えが是非とも必要なように思うのだが。(ハンデウン)

2018-09-27 4面
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