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最終更新日: 2017-11-22 00:00:00
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2017年10月18日 00:00
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韓国史を彩る王たちの物語66 ― 百済21代 蓋鹵王2
父王の死後、後を継ぐ文周王

百済の蓋鹵王を攻め落とした高句麗の長壽王。同王の墓は中国吉林省に今も残る
金両基

 高句麗の長壽王の侵攻を防ぐために、蓋鹵王の魏(北魏)への哀願は長くつづく。長壽王を暴君と批判した『三国史記』の蓋鹵王18年(472年)のくだりは長いが、何故か一般的にはあまり知られていない。
<いま高句麗の長壽王は罪を重ね、自国をまるで食肉のように食い散らし、大臣や豪族 の殺戮を重ねています。その罪深い行為は広がり、不安に戦いた民の離散は日々増えています。いまこそ高句麗を滅亡させる好機であります。―中略もし高句麗が詔使に従わなければ(魏の)王の要望は朕と一致しますので、大軍の出動は近いと思います。事前に兵を集め時期を待つことが宜しいと思います。速やかに臣下を遣わして調べることを薦めます。>
これまでの話は魏への哀願、依願が中心であり、魏と一緒に高句麗を攻めようという蓋鹵王の想いが中心である。このくだりから、百済が高句麗の始祖・朱蒙の子である温祚の建てた国であるという建国史に首を傾げる読者は少なくない。ときおり本稿の読者からそうした感想や質問を受ける。わたしはしばしば歴史は物語であり、建国者が建国後に国を美化するのは古代韓国に限らず、世界史でも普通であると答えてきた。
<21年(475年)9月、高句麗の長壽王が3万の兵を率いて百済の漢城(百済の王都・南漢山城の北側)を囲んだ。(百済の)蓋鹵王は城門を閉じて迎撃したが、城外に出て戦うことはできなかった。高句麗は兵を四つに分けて城を囲んで攻めたて、また風を起こして火を放ち城門を焼いた。民や兵は恐れ戦き、城を抜け出そうとするが王は止める術がなく、自ら数十の騎兵を連れて城門を出て西に向かって逃亡すると、高句麗兵が追いかけ殺害した。>
蓋鹵王は、城を逃れ出たところ高句麗兵に見つかって捕まり殺されたとあるが、王が殺されても国は滅びなかった。蓋鹵王は475年に殺害されたとあるが、同年に後を継ぐ子の文周王のくだりでは、王が逝去したので子が王位を継いで文周王が誕生したと記されている。
<攻めてきた高句麗が漢城を包囲しても蓋鹵王は籠城して城を守り、子(後を継ぐ文周王)を新羅に遣わして救援を求め、子は新羅から1万の兵を得て帰ってきたが、すでに城は陥落し蓋鹵王は亡くなったので王位を継いだ。優柔不断な(蓋鹵)王であったが、民を愛したので民も王を愛した。>(『三国史記』百済本紀文周王の項)
(キム・ヤンギ 比較文化学者)

2017-10-18 6面
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