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最終更新日: 2018-07-19 07:05:48
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2017年09月22日 02:06
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韓国史を彩る王たちの物語64 ― 百済21代 蓋鹵王1
三国史記にも多くの記述

 17代阿莘王は晩年、親善を深めるために太子の腆支を倭国に人質として派遣した。高句麗との戦は戦果が上がらず、さらに402年には稲の苗が枯れるほどの日照りが続く。そこで王自ら横岳で祭祀を行うと雨が降ってきた。倭国に使臣を遣わして大きな珠を求め、403年2月、倭国から珠を持参した使者が来ると篤くもてなした。
そこから勇気を得たのであろう。7月には新羅の辺境に兵を送り、戦を交えるほどであった。幸を招来すると考えられる珠が倭国から贈られたが、その効果をみることなく、王は405年に亡くなる。
親善の人質として倭国にいた太子の腆支は父王の訃報を知り、帰国することにした。その際、倭国は百人の兵をつけて太子を護送した。百済では王位を巡って政争が起き、太子(腆支)が百済の国境に着くと、漢城の人(解忠)が訪れて言った。
「王(阿莘王)が亡くなられると、王の弟の訓解が摂政を務めて太子の帰国を待っていましたが、末弟(碟禮)が兄の訓解を殺して自ら王になっているので、願わくば太子は軽々に国内には入らないで下さい」
それを聞いた腆支は倭兵を連れず、自らを守りながら海中の小さな島に渡って時を待っていた。それを知った国人が碟禮を殺して太子の腆支を迎え、405年に第18代腆支王が誕生する。倭国に行っていた腆支をはじめ、第25代武寧王のように倭国に短期間でも行っていた王子が数人いる。それについては後日触れるが、百済と倭国の間にそれだけ信頼が通い合っていたということである。
腆支王の数代後の455年、第21代蓋鹵王が即位し、存在感を高める。三国史記にその様子が長く記されているので、引用しながら話を進める。即位するや城と軍備を修復し、高句麗の南辺に侵攻し、魏(北魏)に使者を送り百済の始まりと王の国造りを伝える。
〈臣は高句麗と同じ扶余の出でありますので旧誼を重んじ尊重していましたが、その交隣を無視して高句麗の故国原王が自ら兵を率いてわが国の国境を侵しました。その軽々な行動に対し百済の近仇首王は自ら兵を整え、機を見て反撃し、交戦の末故国原王の首を切り晒し首にしたのであります。
その後あえて高句麗の南に侵攻していませんが、北燕が北魏に滅ぼされ、その残党が百済に逃亡してきてから高句麗は勢いを取り戻してわが国を犯し、財物を奪うなどの行為を繰り返しわが国勢は衰え、苦しみに喘いでおります。皇帝の仁慈を頂けますならば、速やかにご家臣の将師を遣わして下さり、わが国を救って下さい〉

2017-09-21 6面
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