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最終更新日: 2017-09-22 02:13:50
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2017年08月15日 00:00
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韓国史を彩る王たちの物語64 ― 百済17代 阿莘王1
大きかった高句麗の国勢

 392年(辰斯王8年)5月、当時大事が起こる予兆とされていた日食があり、その2カ月後広開土王が4万の兵を率いて百済に攻めてきた。辰斯王は広開土王が用兵に長けていることを知り、迎撃をためらい漢水以北の10カ所の城が落とされた。辰斯王はその緊迫した状況の中で、狗原に狩りに出て10日間も戻らず、11月に狗原の行宮で亡くなった。日食の予兆は王の死であったということになる。
第15代枕流王が亡くなったとき、跡を継ぐべき元子(阿莘・阿芳)は幼かったため、叔父の辰斯が王位を継いだ。辰斯王が在位8年で亡くなったので、阿莘が17代王位(395~405年)を継いだ。『三国史記』に、阿莘が漢城の別宮で生まれたとき神霊な光が暗闇を照らし、成長するに従って士気が高邁であり、鷹狩りや乗馬が好きであったと記されている。在位13年の間に行った政を追ってみよう。
即位の翌年、東明廟に拝謁し境内に天地を祭って国勢のさらなる発展を祈った。他の項目でも触れたが、功績を残している百済の王は王位を継ぐと間を置かず東明廟に参拝している。「王は信頼が高く、文武に長けた真武(ジンム)を左将の役に登用し、高句麗の侵攻に対応するよう命じたが、彼は国人の信頼も篤く、沈着果敢で知恵も優れていた」(三国史記)。真武に、王は高句麗に盗られていた領地の取り戻しを命じる。
「わが国の北辺の要塞である関弥城はいま高句麗が占有している。これについて寡人の痛惜は止まらない。そなたの文武の知恵で取り戻せ」
と命じた。真武は1万の兵を率い、その先頭に立って高句麗南部の盗られていた城などを奪還しようと試みたが、高句麗の守りは堅く糧道もスムーズでなく、兵を引き上げた。それほど高句麗の国勢は大きかったのである。
それでも諦めきれず、王は真武らに命じて高句麗を攻めると、広開土王は自ら7000の兵を率いて礼成江の川辺で迎撃し、百済は大敗し8000の兵を失った。王はその戦いの報復のために7000の兵を率いて漢水を渡って北上し、目的地に近づいたが大雪に見舞われ多くの兵が凍死、残った兵を漢山城に引き返して労をねぎらった。この戦況に広開土王の戦上手、勢いがよくわかる。
王の憤りは収まらず、398年に真武の役職を解き、沙豆を左将にして高句麗攻撃のために北上し、漢山の北に到着した。その夜、大きな星が陣営の中に落ちて大きな音が轟いた。王はその現象を見て攻撃を中止し引き返した。その翌年、高句麗攻撃のために兵馬を整え、民百姓から兵を募ったところ、兵役を嫌って大勢の国人が新羅に逃亡した。この戦の間に倭国(日本)との友好を深めるために、太子の腆子を人質として送る。
(キム・ヤンギ 比較文化学者)

2017-08-15 17面
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