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最終更新日: 2017-07-28 08:18:42
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2017年06月07日 00:00
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韓国史を彩る王たちの物語62 ― 百済14代 近仇首王2
近肖古王から倭王へ刀の贈り物
金両基

 近肖古王は、太子とともに百済国勢を拡大し新しい文化や人材をも活用し、高句麗や新羅、晋などと戦もするが平和外交も同時に行っていた。
その一例を日本との関係で記しておこう。日本の奈良県天理市石上(いそのかみ)神宮に所蔵されている全長75センチメートルの鉄剣「七支刀(しちしとう)」は近肖古王から倭王への贈り物である。
「左右交互に3本ずつ両刃の分枝が出ており、中央先端の刃とともに7本になる。銘文により4世紀後半、百済で造られたことがわかる。日本書紀に見える七枝刀(ななつさやのたち)はこれにあたる」(広辞苑 5刷)
これは倭王に贈るために369年(帯和4年)百済で造られたと推定されているが、その年は、過日述べたが高句麗の故国原王が2万の大軍を率いて百済の領土を襲い、それを近肖古王が太子を伴って撃退した。その年に倭王への贈り物に七支刀を造らせたという。古事記に、応神天皇の時代に百済から刀鍛冶が渡来したと記されている。
375年、父王(近肖古王)が亡くなると太子が王位を継ぎ第14代近仇首王の時代を迎えた。父王を助けて百済に尽くした年月は長いが、在位して19年目のAD384に亡くなった。
即位した翌年に政を妻の父である晋高道に内臣佐平の役職を与えて委ね、377年の高句麗の平壌城に3万人を率いて出陣したという。身体の具合が良くなかったというが、記録がないので類推するしかない。
382年は、春から6月まで雨が降らず穀物が育たず民百姓は餓え、食糧不足で子どもを売る家が出るほどだった。それを知った王は、宮廷の保管穀物を与えて子どもを取り戻したという『三国史記』のくだりからみて、民を大事にした王であったと言ってよい。
その2年前には疫病が流行り、地面が深さ5丈、幅3丈ほども裂ける地震が3日間続くなど異常事態に見舞われていた。韓国の古記には地震の話が時折記されている。それらの天災も大事なく治まった384年2月に「日量(ひがさ)が3重に重なり、宮中の大木が抜けて倒れ」たという異変が起こり、4月に王が亡くなった。
韓国には地震がほとんどないと韓国人はよく言い、20代まで韓国で生まれ育った妻も日本の小さな地震にもすぐ身体が反応し、恐れている。韓国ではたしかに日本のように頻繁に地震は起きていない。だが、古記には地震という単語は見当たらなくとも地震が起きて被害が出たことが何カ所にも記されている。頻度が少なく、被害も日本ほど大きくないので、地震がないと思い込んでいるのであろう。(キム・ヤンギ 比較文化学者)

2017-06-07 6面
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