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最終更新日: 2017-07-24 09:16:41
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2017年05月03日 00:00
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韓国史を彩る王たちの物語61 ― 百済14代 近仇首王1 
天父地母の神話に彩られた古代国家

金両基

 古の国造りは、武力をもって民を統率して国勢を高めたリーダーが王となり、自分の出自を誇示する神話を創製して王位の継続を図った。韓国の古代国家は、天を父・地を母とする天父地母の神話伝説に彩られている。百済もその一つだが、百済の始祖は高句麗の始祖である高朱蒙の子であると建国神話は語るが、高朱蒙の父は天であるからその流れは変わらない。
百済中興の祖に位置づけられている近肖古王は、父系と母系の血統の中から王位継承者を選んでいたそれまでの決まりを整理した。王権を近肖古王の祖先の系譜に統一し、国家運営の基本を整え、武勢中心に国勢を高めていたそれまでのしきたりに先進文化を取り入れ、文治国家作りの礎を築いた。
そこに至るまでには周辺国とのせめぎ合いが続く。近肖古王の晩年、高句麗の故国原王の命を受けた元百済人の斯由(斯紀)が侵攻してきたので、王は太子(後の近仇首王)にその迎撃を命じ、太子が斯紀から情報を受けるエピソードが『三国史記』の近仇首王の条に次のように記されている。
(太子は)半乞壌で高句麗軍を迎撃する寸前、斯紀は自分はもと百済人で、百済にいるとき誤って国馬の蹄を傷つけてしまい、それを罰せられることを恐れて高句麗に逃げてきた。そして「高句麗の軍は多いと言うが頭数だけを揃えた(偽の)兵である。剛勇な兵は赤旗部隊だけであるから、彼らを先に破れば残りの兵は攻めの対象にならない」と言った。太子はそれに従って攻撃し、逃走する敵を追って北の水谷城の西北まで至った。
そのとき臣下の莫古解はさらに追撃しようとする太子に、「足るを知れば辱められず、止むこと知れば危うからず」という道家のことばを語り、この戦で得たものは多く、それ以上を求めることを諫めた。太子はその意を善しとし追撃を止め、戦勝の標識として石を積み上げ、その上に上って左右の者に次にここに立つ人は誰であろうかと言った。そこには馬の蹄のようなひびが入った岩石があった。後の人々はそれを太子の愛馬の跡だと語っている。
近肖古王の条の最後に、「古記曰く、百済は開国以来文字による記録が無かったが、この時代に博士の高興によって文字による記録が始まった」と記されている。高興の名は他の文献にもなく、その詳細は不明であるが百済に文字による記録が始まったという。 
AD375年(在位30年)近肖古王が亡くなると、太子が王位を継ぎ、第14代近仇首王の時代を迎える。
(キム・ヤンギ 比較文化学者)

2017-05-03 6面
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