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最終更新日: 2017-12-13 00:00:00
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2017年04月05日 04:50
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韓国史を彩る王たちの物語60
百済13代 近肖古王2

金両基

中興の祖の時代 日本に千字文伝来

韓国の宝物第1659号の「千字文」。(写真=文化財庁)
 古代から日本では百済のファンが多く、イメージも大変よい。桓武天皇の母の高野新笠は百済系の氏族である和乙継(やまとのおとつぐ)であり、桓武天皇(在位AD781~806)と百済とは血縁関係にあることなどから、日本では百済のイメージがよい。さかのぼればAD660年、百済が新羅と唐に攻め滅ぼされる白村江の戦いに、百済の遺臣から救援を求められ、大和朝廷は大軍を送り、斉明天皇が北九州に本営を置いて指揮するが敗退する。その相関関係からも天皇家と百済の関係の深さが分かる。
また、実在した百済王の近肖古・近仇首の父子の王名が、『古事記』には「照古王」、『日本書紀』には「肖古王」、『新撰姓氏録』には「速古王」と記されているが、いずれも肖古王の音読であり、それは肖古王のことではなく近肖古王を指すものである。近仇首王も別字で記されているが、それは次回で触れたい。
近肖古王は百済の中興の祖であり、次代を継ぐ仇首太子との二人三脚によって戦も外交も上手く運び、百済の国土は最大に広がり、政も上手くいき、百済の存在は内外に広く高まった時代である。百済から王仁が日本に渡来し、千字文など先進文化を伝えた時代だとも言われている。
近肖古王30年(AD375)7月、高句麗軍に水谷城(新渓)を攻められて迎撃したが防ぎきれなかった。王は反撃を試みたがその年は凶年で余力がなく、11月に王が亡くなり反撃できなかったが、太子が近仇首王となり父王の思いを継ぐ。
百済王の実名が『古事記』などに記される前に、百済から先進文化が大和王朝に伝えられた経緯を簡単に追ってみる。古事記の応神天皇のくだりに高句麗・百済・新羅から多くの先進文化が日本に伝えられたことが記されている。古事記からその一部を引いてみよう。
「百済王の国主照古王が雄と雌の馬を1頭づつ阿知吉師につけて貢る。阿知吉師は阿知の史等の祖なり。そのとき大刀・大鏡などを貢った。さらに(応神天皇は)百済の国に賢い人がおれば貢れと仰せになった。その言葉に従って和邇吉師に論語十巻、千字文一巻合わせて十一巻持たせて貢った」
千字文とは漢字の教科書であり、基本的な漢字を千字記した今日的に言えば入門書・教科書である。
『日本書紀』には王仁と記されているが和邇吉師のことである。百済から文字とそれを駆使できる人材が大和王朝に伝えられ、後に『古事記』や『日本書紀』などの書が生まれたのである。貢や朝貢を国力が弱い文化の低い立場からの貢ぎ物と解釈すると、このくだりの解釈は不自然である。ここでは外交的な贈り物と解釈する方が分かりやすい。
(キム・ヤンギ 比較文化学者)

2017-04-05 6面
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