ログイン 新規登録
最終更新日: 2017-09-22 08:26:46
Untitled Document
ホーム > 在日社会
2017年01月25日 21:54
文字サイズ 記事をメールする 印刷 ニューススクラップ
 
 
全国に唯一残る5・16道路
「漢拏山の奇跡」導いた大統領との縁 金坪珍と金榮寛の友情(下)

朴正熙議長 「『赤い線』は消しなさい」

 1962年に政府の在日同胞済州誘致計画が停滞した決定的な理由は、思想問題だった。4・3事件と6・25動乱前後に日本に渡った同胞たちの中に、いわゆる「赤い線」が少なくなかった。行政機関が個人身上記録に反政府・親北人物として記載したケースは、相当数に上っていた。
漢拏山を南北に貫く5・16道路
40数年ぶりに再会した金榮寬氏(左)と金和男氏
済州道の金榮寬知事(当時)は、この問題を解決できなければ在日同胞の投資誘致は難しいと見た。
「在日同胞とその親戚の身上情報に『赤い線』があればすべて消してほしいというと、内務部はできないと強く反対しました。朴正熙大統領に報告し、同胞を条件なく帰国させるようにしなければ済州の開発は水泡に帰すと話しました」
在日済州開発協会30年史などによると、同胞たちは帰国時から出国するまで、警察と情報機関員の監視を受け続けた。金榮寬は、朴大統領は自分の提案よりも一歩進んだ同胞包容政策を描いていたと話す。
「4・3事件の時、済州道民がどれほど精神的・肉体的苦痛を受けたか。あなたが済州道民のわだかまりを完全に解いてきなさい」と、当時の朴議長は金榮寬に説いたという。
こうして「赤い線」が入った住民の身上記録は消去され、在日同胞の思想の問題は、不問に付された。朝鮮総連系でも済州訪問は可能となった。李承晩時代から続いてきた「同胞査察制」も廃止された。1970年代半ばに始まった墓参団事業を、済州は10年も前に開始していたといえる。
政府が在日同胞の士気を高揚させたことで、彼らは積極的に愛郷心を発揮しはじめた。金坪珍は済州最初のホテルである「済州観光ホテル」に続き、李承晩大統領の別荘だったハネムーンハウスを買収して改装。さらに「西帰浦観光ホテル」を新設した。また済州女子中高校を買収して後進の育成に貢献した。金坪珍の息子、金和男・在日韓国人本国投資協会会長は、「父は済州の3ホテルが長期間赤字だったにもかかわらず、済州観光振興のために(経営を)続けた」と回想した。
大阪にあった日本有機化学工業の安在〓社長は、故郷の西帰浦市表善面を一人で開発したといわれるほど、村のインフラ整備活動に私財を投じた。
朝天面(現・朝天邑)をはじめとする済州のあちこちに、在日同胞の功績を称える「石碑」がずらりと並ぶ。「石碑通り」の観をなす現在の光景は、当時の在日同胞の済州開発がどれほど活発だったのかを物語る。
済州出身の在日同胞は、315万本(1962~70年)に達するミカンの苗木を寄贈し、済州を「ミカンの島」に変えた。現在、済州ミカンは韓国の果物生産量の4分の1を占めている。
金榮寬は、済州の思い出といえば漢拏山の5・16道路舗装だと話す。済州開発の出発点を道路舗装と決めたからだ。
「済州島の開発を始めるにあたり、道路から始めよう。中でも漢拏山横断(実際は山の東側を南北に縦断)道路を舗装しようと考えました。主務省庁である内務部の李獻卿・道路課長が『自動車が300台もない島で何が舗装か』と言ったのを遮って、『済州島は、道路を開く必要があります。観光客が来れば車も増えます』と反論しました」
そばで二人の論争を聞いていた朴正熙議長はゲラゲラ笑いながら「知事の言っていることが正しい。済州島にいつの日か車が増え、需要に合うようになるだろう」と、金榮寬に同意した。済州島開発の大工事は、そこから始まった。
済州道民にさえも、漢拏山横断道路の舗装は、雲をつかむような計画に映った。道もない山岳地帯を切り開き、舗装までできるのかと懐疑的だった。金榮寬は知事として粘り強く推進した。建設機械は海軍艦を利用して輸送し、接岸の障害になった岩礁は、爆破専門の海軍特殊部隊UDTの隊員を投入して爆破した。車が通れない山岳地帯には、軍人がトレーラーやローラーを背負って上がった。「ならぬならなるようにしろ」という猪突猛進ぶりで舗装をやり遂げた。
漢拏山を貫く韓国最初の山岳道路、済州開発の端を開いた5・16道路は、こうして誕生した。済州道民は金榮寬が任期を終えた4年後の1967年、長さ43キロにおよぶ道路の入口に「金榮寬功績碑」を建立した。
当時、ソウルをはじめとする全国の主要都市に5・16の名がついた道路や広場があったが、後日、「軍事独裁の残滓」であるということで完全に撤去されてしまった。今韓国で「5・16」の名がついている道は、済州5・16道路だけだ。
5・16以降、朴正熙と金榮寬、そして金坪珍とつながった縁は、漢拏山の奇跡を成し遂げる決定的な動力となった。朴正熙は63年10月15日、第5代大統領選挙で済州島民から大量の票を獲得した。島民の63・5%の支持を得て20・2%にとどまった尹〓善に3倍以上の差をつける圧勝だった。全国で見ると、朴正熙の支持率は46・6%で、45・1%の尹〓善に辛勝だった。済州の票で大統領に当選したといっても過言ではなかろう。

2017-01-25 4面
 
「済州の発展」で意気投合
뉴스스크랩하기
在日社会セクション一覧へ
「大韓民国が恥ずかしい」
日韓トンネルで講演会
[動画] 世界一恐怖の水素爆弾
【パチンコ規則改正を読む】小規模ホー...
李洙勲慶南大教授 新駐日大使に内定
ブログ記事
大韓民国はロウソク政権の挑戦に応戦せよ!
新・浦安残日録(8)
「星州の赤い月」、THAAD配備反対暴動は青瓦台が使嗾
東アジアの「核のドミノ」は始まるのか
精神論〔1758年〕 第三部 第4章 注意力の不等性について
自由統一
核・ミサイル開発に30億ドル
安保理の制裁可決
北の狙いは米との不可侵協定
北、ミサイル発射 
またICBM 北、真夜中に発射


Copyright ⓒ OneKorea Daily News All rights reserved ONEKOREANEWS.net
会社概要 会社沿革 会員規約 お問合せ お知らせ

当社は特定宗教団体とは一切関係ありません